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第二次中東戦争(スエズ危機)を招いたのはイギリス?国際政治を学ぶライターがわかりやすく解説

アラブ諸国と敵対していたイスラエル

イスラエルとエジプトの間には、より根本的な敵対関係がありました。そもそもイスラエルは、アラブ諸国とは犬猿の仲。両者はパレスチナの帰属をめぐって対立しているからです。

パレスチナは、古くからアラブ民族が生活する土地でした。しかし近代になって、2000年以上前にパレスチナに王国を築いていたユダヤ人が世界各地から戻ってくるようになります。そして第二次世界大戦後の1948年、ユダヤ人はパレスチナに自分たちの国家であるイスラエルを建国したのです。このため、もともとその地に住んでいた多くのアラブ民族が故郷を追われてしまいました。こうした人々は、パレスチナ難民と呼ばれています。このような背景から、イスラエルとアラブ諸国は敵対関係にあったのです。

第一次中東戦争は、イスラエルの建国とパレスチナをめぐる対立が引き金となって生じた武力衝突。そして、中東戦争は基本的にイスラエル対アラブ諸国という構図で繰り広げられています。そのアラブ諸国の盟主がエジプトなのです。イスラエルは自国のさらなる領土拡大のため、エジプトを弱体化させる機会を常に狙っていました。

第二次中東戦争の開戦から停戦まで

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イスラエルの先制攻撃

それぞれ異なる背景はあったものの、イギリス、フランス、そしてイスラエルの利害は一致していました。三か国は、エジプトへの攻撃を計画します。

1956年10月29日、イスラエルがエジプトのシナイ半島に侵攻しました。エジプトは当然、自国領を守るために迎撃。そこでイギリスは、イスラエルとエジプトの両軍に対して撤退するよう勧告します。スエズ運河を失う訳にいかないエジプトは、撤退勧告を拒否して抗戦を続けました。しかし、これはイギリス側の作戦だったのです。

イギリスとフランスは、地域の安全維持を口実にしてスエズ地区に軍隊を派遣。エジプト国内への攻撃も開始しました。こうしてイギリスやフランスは、スエズ運河を自らの支配下に入れようとしたのです。

国連が停戦を要請

イスラエルとイギリス、フランスは、想定通りエジプトに対して優位に戦いを進めました。

しかし、国際社会はエジプトの味方につきます。イスラエルがエジプトに先制攻撃を仕掛けてほどなく、アメリカは国連の安全保

第二次中東戦争が各国にもたらした影響

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