
現世がダメなら来世で仏になろう
「何をやってもダメ。どうせ誰も救われない」そんな風にジメジメしていた平安時代、庶民の間に広まっていったのが浄土教でした。浄土教では念仏を唱えれば阿弥陀如来のお力で来世は西方極楽浄土に生まれ変われる、つまり、誰でもゆくゆくは悟りに到達できるのです。みんな幸せになれます。絶望した人々が飛びつかないわけがありません。
平安時代中期に現れた空也という浄土教の僧侶は念仏を唱えて各地を渡り、市井で庶民たちに布教したため「市聖(いちひじり)」と呼ばれています。「聖」とは、寺社に属さず浄土教を布教する僧のことです。空也の登場の少し後に先述の源信が『往生要集』を書き記し、また仏教絵画の絵解きによって字の読めない民衆にも浄土教をよりわかりやすくして広めました。絵解きというのは、言うなれば紙芝居のようなもので、民衆の前に仏教絵画を持ってきて「阿弥陀如来様はこうやって私たちをお救いくださるんですよー」と丁寧に説明することです。絵画によって阿弥陀如来や極楽浄土のイメージがしっかり頭に残るのですから、書物を読むだけに終わらない優しい授業ですね。
空也や源信など僧侶たちの尽力によって浄土教は一大ブームとなり、やがて浄土教は貴族たちの中へも浸透し始めます。貴族はやっぱり庶民よりお金を持っているわけですから、彼ら阿弥陀如来への信仰を表現するのに仏像を彫らせたり、寺社の建立を始めるわけです。このときに宇治平等院の鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂などが建てられました。
時代と政治の変化
貴族と武士では生まれや育ち、すなわち、施される教育や思想がまるで違います。政治の担い手が貴族から武士へ変化したことで、世の中の価値観にも変化が起こりました。
とはいえ、末法の世が終わったわけではありませんから、浄土教の教えは引き続き拡大していきます。ただし、時間を経るごとに特徴の異なる宗派が成立していきました。これがいわゆる鎌倉仏教と呼ばれるものです。
浄土教から繋がる三つの宗派
1133年、まだ平安時代のうちに最初に興ったのが浄土宗でした。名前もストレートで覚えやすいですね。開祖は法然(ほうねん)上人。内容は従来通り、念仏を唱え、阿弥陀如来のお力に頼れば誰でも西方極楽浄土へ転生できるというものです。念仏以外の教義や修行、お寺などを必要としない「専修念仏」を広めていきます。
法然上人の弟子だった親鸞(しんらん)聖人はこれをさらに深く掘り下げ、「悪人正機説」を説きました。「悪人正機説」は名前で勘違いされがちなのですが、この「悪人」は「罪を犯した人」ではありません。欲に支配されてすべての衆生、つまり、私たちのことです。「道徳的・一般的な悪」ではなく、「生命の根源的な悪」なんですね。逆に「善人」は「悪に無自覚な人間」を指します。「悪」に無自覚な「善人」でさえ救われるのですから、「悪」を自覚した「悪人」が救われないわけがない。だから、自分が「悪人」だということに気付いて阿弥陀如来に頼みなさい、ということです。この教義をもとに親鸞が亡くなった後に彼の門弟たちによって浄土真宗が開かれます。
三つ目は一遍(いっぺん)上人の時宗。太鼓などの楽器を用いた音楽に合わせて踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」をしながら各地を巡って布教します。「南無阿弥陀仏」を繰り返し繰り返し唱えることを徹底、実践し続け、また、賦算と呼ばれる札を配り、「阿弥陀如来によってすべての衆生は救われているのだ」と人々に教えて回りました。時宗の勧進帳に記名した信者は最終的に250万人にのぼるとされています。
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