
「浄土教」が目指すもの
浄土教は阿弥陀如来の本願にすがり、来世に西方極楽浄土へ転生することを目標とします。985年、浄土教の僧侶・源信は『往生要集』に「念仏を唱えることが正業であり、他にしなければならないことはない」と書きました。その後も『往生要集』は極楽浄土に関する重要な教科書となります。要は、浄土教のマニュアルですね。極楽浄土の他にも『往生要集』には地獄についても書かれており、このイメージは貴賤に関係なく広まっていきます。
浄土教、日本へ伝来するも流行らず
戒律と修行を重要視する「上座部仏教」はタイやスリランカなどへ広まった一方、「大乗仏教」は中国やチベットなど東方へ伝播していきました。浄土教の経典としては、インド国内で『無量寿経』と『阿弥陀経』が編纂され、各国で翻訳されます。
中国ではそれまでに根付いていた儒教との兼ね合いが取れずに迫害の対象となることもありました。しかし、日本では仏教が国を守る「鎮護国家」の思想から、仏教に反対していた物部氏が滅びると積極的に取り入れられることになります。そうして、聖武天皇によって国分寺や東大寺の大仏などが続々と建立され、日本土着の神々と仏教の菩薩たちを同一視する神仏習合が起こりました。以降、明治維新による神仏分離令までの1000年以上もの間この状態が続くことになります。
浄土教も仏教より少し遅れて伝来していますが、奈良時代では流行りません。智光、礼光などの僧が信奉していますが、この時代は三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗の「南都六宗」がメインです。
末法の世の到来。乱れていく世の中
By 伝狩野元信 – 『源平合戦図屏風』 赤間神宮所蔵, パブリック・ドメイン, Link
「末法の世」とはお釈迦様が亡くなられて2000年後、仏教の教えは残れど、それを正しく修行して悟りに到達する人がまったくいなくなってしまう時期を指します。どんなに努力しても誰ひとりとして悟りは開けませんから、世の中はどんどん悪い方へ転がっていくわけで。そうすると現世での幸せは望めません。庶民の心情的には某世紀末といったところでしょうか。
末法の世は日本だと平安時代中期の1052年から始まります。1052年以降と言えば、朝廷ではこれまで盤石だった藤原北家による摂関政治がほころび、院政が誕生しました。仏教界も武装した僧兵が強訴を起こしたりと腐敗が進んでいます。さらに平安時代末期に近づくと保元の乱、平治の乱が短い期間で起こり、平清盛をはじめとした武士の台頭、その後は六年に及ぶ源平合戦、そして、鎌倉幕府の誕生と続くのです。まさに激動の時代ですね。
戦争は立て続けに起こるわ、政権も取られるわ。そもそも末法の世だから仏教に帰依しても悟りは開けません。現世が厳しすぎて、もはや今世では絶対に救われることはない、と貴族も庶民も絶望に陥ってしまい、どんどん末法思想に染まっていくわけです。
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