今回は歴史マニアのリリー・リリコと一緒に解説していこう。
ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。義経を中心に平安末期を調べるかたわら、日本の歴史と古くから密接な関係を持つ仏教について勉強していた。
仏教のふたつの主な流れ
日本で主要な宗教として古くから信仰されている仏教。成立したのは紀元前五世紀、ガウタマ・シッタールダ(釈迦)がブッダガヤで悟りを開き、人々に広めたのが起源です。後に成立する宗派と区別するため、原始仏教や初期仏教と呼ばれています。
さて、ここで仏教について少しだけ復習しますね。お釈迦様の死後、仏教は主に「大乗仏教」と「上座部仏教」の二つの流れに分けられます。ざっくり説明すると、「大乗仏教」は修行している僧侶が己ひとりではなく、生きとし生けるものすべてが救われるという考えです。「浄土教」は大乗仏教の流れを汲み、また大乗仏教と同時期に成立したとされています。逆に「上座部仏教」は戒律重視、修行したものだけが悟りを開き、救われるというもの。
両方とも目指すところは「悟りを開き、輪廻からの解脱すること」なのですが、そこにいたるまでの方法が違うのです。
仏教の世界観と目的
仏教の世界の大きな枠として「輪廻」というものがあります。「輪廻」とは、この世の中に生きているすべての命が何度も転生を繰り返すことです。「転生」と聞くと最近流行りの用語のように思えますが、実は、この思想は紀元前から存在していました。
すべての生き物は、無限にある前世と今世に背負った業により、六道と呼ばれる六つの世界の中から次の転生先が決められます。六道は上から、天人が住み、苦しみのないとされる「天道」、人間の「人間道」、阿修羅の住む争いの絶えない「修羅道」、動物たちの「畜生道」、常に空腹に苛まれる「餓鬼道」、そして最下層の「地獄道」。天道の天人たちは神様みたいなものですが、悟りを開いたお釈迦様には遠く及びませんし、長いとはいえ寿命もあります。また、阿修羅は仏教の守護神です(宗派によって位置づけが変わります)が、常に闘争心に溢れた気性で心休まる時はありません。地獄は言わずもがなですね。
仏教の最終目的は「悟り」への到達であり、「悟り」によってこの「輪廻」から「解脱(解放)」することができるのです。
実際、悟りを開くのは難しい
浄土教も大乗仏教の流れにありますから、目指すはみんなで悟り、みんなで解脱することです。ただし、この解脱というのがとんでもなく難しく、一朝一夕でできることではありません。お釈迦様も29歳で出家し、苦難の連続の末に35歳でようやく悟りに到達して仏陀(悟りを開いた人)となります。
お釈迦様でさえ六年間、それも専念してやっとですから、仕事や日常生活を送りながら悟りに至るなんて普通の人間にはとてもできませんでした。そもそも、悟るためには欲を捨てることが大前提で、つまり、持っている家や社会的地位ですら捨てなければいけなかったのです。
すべての仏の先生・阿弥陀如来
浄土教の中でもっとも重要なのが「阿弥陀如来(あみだにょらい)」です。「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」というお経を聞いたことありませんか?この「阿弥陀仏」とは阿弥陀如来を指し、「南無」は「帰依(信仰)しています」という意味なので、「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀如来に帰依しています」と唱えているんですね。
ところで、阿弥陀如来はこの宇宙に存在する仏の中でも抜きんでた力を持ったすべての仏の先生なのです。当然、お釈迦様も阿弥陀如来の弟子でした。阿弥陀如来が先生とされる由来は、阿弥陀如来が悟りを開く際に立てた48の本願にあります。それは「生きとし生けるものすべてを幸せにする」という内容で、お釈迦様をはじめ、他の仏には実現不可能なものだったのです。だから、これほどまで尊い誓願を成就させた阿弥陀如来がすべて仏の先生となったのでした。
阿弥陀如来がいるのが「西方極楽浄土」。これは前述の六道とはまた別の世界です。極楽浄土へ行くには、まず阿弥陀如来に心から帰依して念仏を唱えなければなりません。そして、阿弥陀如来のお力によって、死後は六道ではなく極楽浄土へ転生し、ここで阿弥陀如来のお説法を聞いて仏になるのです。阿弥陀如来の本願に頼って極楽へ行く。これが本来の意味での「他力本願」でした。
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