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アメリカはどのように形成された?「フロンティア」の意味や歴史を元大学教員が解説

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長らくのあいだ大陸横断鉄道の開通は未開の地が文明化された瞬間としてたたえられてきた。先住民(インディアン)との抗争に打ち勝ち、鉄道を完成させる男たちの雄姿を描く映画もたくさん作られてきたが、近年は修正されている。

「フロンティア」は西の方向だけを意味するの?

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By United States National Park Service-Map, Robert McGinnis-illustration – http://www.lib.utexas.edu/maps/national_parks/santa_fe_trail94.jpg, Public Domain, Link

「フロンティア」という表現はアメリカ東海岸から西海岸へ一直線に移動するというイメージがあります。しかし実際は、開拓者たちはあらゆる方向に土地を求めて移動していました

本当の「フロンティア消滅」はアメリカ中部

開拓者たちは、西海岸に開拓地がなくなると先住民(インディアン)の強制移住先であった中部に移動。支配エリアを拡大しようとします。そして「フロンティア消滅」の瞬間とされるウンデッド・ニーの虐殺がおこるに至ります

この舞台となったのがアメリカ中部のサウスダコタ州。実行部隊である第7騎兵隊は名誉勲章をあたえられ、その行為は賞賛されました。「戦い」と表現されることもありますが、逃げまどう人々を一方的に殺したというのが実際のところです。

アメリカ南西部はのちに「ラスト・フロンティア」として宣伝される

アメリカ中部にくわえて南西部も「ラスト・フロンティア」として強調されました。このエリアにおいても、先住民(インディアン)との抗争が激化。メキシコ領や独自の自治領が入り組んで存在していたことから長らく混乱した状況にありました。

「フロンティア消滅」のあとは、メキシコ国境に近いことによる異国風の文化や風景を利用して観光地化がすすみます。そのとき現地に住んでいる先住民(インディアン)の生活も、観光客の見世物として利用されました。

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「フロンティア消滅」のあとアメリカ南西部は観光プロモーションが活発に。その最前線にたったのがサンタフェ鉄道。鉄道にのって険しい山をこえ、フロンティア開拓の気分を味わうツアーが大人気になった。メキシコに由来する独自の文化も観光地としての魅力につながったのだろう。

フロンティア抗争の犠牲者として有名になったカスター将軍

image by PIXTA / 15238363

「フロンティア」というと白人開拓者が勝利する姿を思い浮かべがち。しかし先住民(インディアン)との抗争のなかで亡くなた軍人を「名誉ある犠牲」としてたたえる傾向も。その代表的な人物がカスター将軍です。

カスター将軍とはどのような人?

カスター将軍の本名はジョージ・アームストロング・カスター。南北戦争で活躍した軍人でもあります。第7騎兵隊の連隊長に就任し、先住民(インディアン)の制圧を任されました。しかし1876年にスー族をはじめとする部族と抗争を繰り広げたすえに亡くなりました。

カスター将軍は、長めの金髪にひげをたくわえた風貌で、軍服にもかなりのこだわりをもっていた人物。当時のアメリカのメディアにも積極的に登場しました。有名人であった彼の戦死は大きなニュースとなり、英雄として定着するに至ります。

カスター将軍とシッティング・ブルの戦いは伝説化する

カスター将軍が戦死したのがモンタナ州におけるリトル・ビックホーンの戦い。このとき先住民(インディアン)は複数の部族が協定を結び、かなり大規模な部隊を組むに至りました。そのためカスター将軍の軍隊は圧倒的に不利な状況にあったと言われています。

圧倒的多数の部隊により、カスター将軍の一行は追い詰められていくことに。このとき部族の先頭に立ったのがスー族のシッティング・ブル。カスター将軍とシッティング・ブルは「犠牲者」と「加害者」として対立的に報道されました。

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hikosuke