

フロンティアを開拓するアメリカ人の英雄的なイメージは現在にも継承されている。世界各国で起こっている紛争に関与するアメリカ大統領のイメージは、フロンティア開拓のイメージを継承していると言えないか。
「フロンティア」が意味づけされたのは19世紀末
By Alfred Jacob Miller – Walters Art Museum: Home page Info about artwork, Public Domain, Link
「フロンティア」はアメリカの国家のイメージを作るキーワード。しかし最初からこの表現が存在していたわけではありません。19世紀末にフロンティアが消滅したというレポートの公表を受けて、アメリカの学者が改めて意味づけしたものです。
フレデリック・ジャクソン・ターナーが「フロンティア消滅」を機に定義
「フロンティア」がアメリカ史において何を意味するのかを定義したのがフレデリック・ジャクソン・ターナー。1893年に発表された論文「アメリカ史におけるフロンティアの意義」のなかで、フロンティアがアメリカの独自性を作ったと述べました。
この考察のきっかけとなったのが「フロンティア消滅」という歴史的事件。1890年に国勢調査局長がフロンティアと呼べるエリアがもはやないことを発表。フロンティアの開拓が一大目標であったアメリカ人にとって、その消滅は大きな衝撃をあたえるものでした。
アメリカ人の本質は「フロンティア」にあると考えた
アメリカの独自性というものは「開拓者の文明」と「未開の荒野の荒々しさ」が出会うことにより形づくられたというのがターナーの主張。これは「フロンティア学説」と呼ばれ、その後のアメリカの価値観に大きな影響を与えることになりました。
フロンティア開拓の歴史をふりかえり、アメリカ人の本質を定義することは、イギリスとは異なる国の独自性を主張するためにも大切なこと。イギリスの植民地であった過去を振り払うという意味もありました。

フロンティア開拓をすすめた理由のひとつが爆発的な人口増加。フロンティアの消滅後も人口増加はおさまることなくハワイやグアムの併合につながっていく。ふたつの島はあたりまえのようにアメリカの一部であるが、もともとは独自の王国があった地だ。
「フロンティア」をめぐる抗争は大陸横断鉄道により激化
By Andrew J. Russell – This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 594940., パブリック・ドメイン, Link
フロンティアの移動を加速させたのが大陸横断鉄道の建設。どうじに大規模な建設事業は先住民(インディアン)との争いを激しくさせました。大陸横断鉄道の建設は、アメリカの技術力や経済力を世界に示す一大事業。ただ、その歴史的な意味づけは、どの立場に立つかにより大きく変化します。
アメリカ東海岸と西海岸をつなぐことを目指す
最初の大陸横断鉄道が開通したのが1869年。ユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道による路線が、オマハからサクラメントをつなぐことに成功しました。
その後、たくさんの鉄道会社が東海岸と西海岸をつなぐ路線を開通。それにより鉄道に乗って西海岸へ移住する人が増加。西海岸はいっきに産業が発展し、開拓者を楽しませる娯楽施設も充実するようになりました。
先住民(インディアン)の生活圏を脅かすことでもあった
大陸横断鉄道はアメリカの産業の成長に貢献することになります。しかし、建設の過程で数多くの先住民(インディアン)の住みかを奪う結果に。先住民(インディアン)は先祖代々の土地を大切にする習慣があります。鉄道建設により先祖代々の土地が奪われ、反発を強めていきました。
鉄道会社は先住民(インディアン)と交渉する姿勢を見せるものの、その取引内容のほとんどが一方的なもの。そのため建設予定のエリアでは激しい争いが展開。戦いにより制圧された人々は、虐殺されるか不便な土地への強制移住を強いられました。