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アメリカはどのように形成された?「フロンティア」の意味や歴史を元大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。アメリカの歴史を学ぶとき「フロンティアの消滅」や「フロンティア精神」という言葉をよく耳にする。「フロンティア」はヨーロッパからの白人入植者がアメリカを作る過程で避けて通れない歴史。その当時のいろいろな出来事は、現在にも多くの影響を残している。

それじゃ、「フロンティア」とアメリカ形成の歴史について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ形成期は、アメリカという国が発展するプロセスであると同時に、現在にも影響を残す多くの衝突があった。そこで、「フロンティア」をキーワードに、アメリカ形成期のできごとをまとめてみた。

「フロンティア」が意味することは?

image by PIXTA / 23089230

フロンティアとは直訳すると「辺境」。まだ開拓されていない、未発達の地というニュアンスで使われます。ただ、フロンティアという考え方は、ヨーロッパから入植した白人の目線によるものであることを忘れてはなりません。

アメリカ東海岸の13植民地から始まる

17世紀から18世紀にかけて北アメリカ大陸の東海岸にイギリス人が入植。それにより成立した植民地を「13植民地」と総称します。その時点で植民地はイギリス領として位置づけられていました。

本国による過度な課税などに反発した植民地は対立姿勢を強めていきます。その結果、13植民地は1776年にアメリカ独立宣言を発表。本国であるイギリスから独立を果たします。

フロンティア=未開の地が意味すること

入植者たちは、東海岸の人口増加やカリフォルニアにおける金鉱発見をうけて、さらなる新しい土地の獲得を目指します。それが「西部開拓時代」と総称。アメリカ形成期を象徴する時期となりました。

「フロンティア」は、白人が住んでいない「未開の地」であることが前提。その地に居住することは「文明化」の証とみなされました。実際は、以前から暮らしていた先住民(インディアン)を武力で制圧することを意味しました。

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カリフォルニアにおける金鉱発見は「ゴールドラッシュ」と呼ばれる現象を生み、たくさんの人々を西へ向かわせた。砂漠の厳しい環境や犯罪の多発により亡くなった人も多いと言われる。黄金を見つけたことで殺されてしまうこともあったようだ。

フロンティアの開拓を通じて白人開拓者は何と戦った?

ヨーロッパからの移民が増え続け、東海岸の植民地は爆発的な人口増加にみまわれます。そのため自力で生活の場を開拓する必要性に迫られました。そのような状況に追い込まれた人々は「未開拓の地」においていったい何と戦っていると感じられたのでしょうか。

西への前進をはばむ自然の脅威

ひとつはフロンティアを開拓する過程で直面する自然の脅威。多くの白人開拓者がときには家族を連れて荒野を移動します。整備されていない峡谷や砂漠地帯を横断することも多々ありました。

そのなかで命を落とす人は多く、開拓者が進む道には亡骸が残されていることも。そこでフロンティアの開拓は、人間の力をはるかに超えた自然の脅威との闘いとみなされました。

先住民(インディアン)もまた脅威として位置づけられた

自然にくわえて、フロンティアとされるエリアにもともと暮らしていた先住民(インディアン)も前進をはばむ脅威として認識。彼らは文明化されていない「野蛮人」として、開拓者たちと対比されるようになりました。

一部の部の先住民(インディアン)は武装化し、テリトリーに侵入してきた入開拓者に弓矢を向けるように。場合によっては大きな争いに発展。双方に多大な犠牲をもたらすことになりました。

\次のページで「「フロンティア」が意味づけされたのは19世紀末」を解説!/

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