それじゃ、「フロンティア」とアメリカ形成の歴史について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 「フロンティア」が意味することは?
- アメリカ東海岸の13植民地から始まる
- フロンティア=未開の地が意味すること
- フロンティアの開拓を通じて白人開拓者は何と戦った?
- 西への前進をはばむ自然の脅威
- 先住民(インディアン)もまた脅威として位置づけられた
- 「フロンティア」が意味づけされたのは19世紀末
- フレデリック・ジャクソン・ターナーが「フロンティア消滅」を機に定義
- アメリカ人の本質は「フロンティア」にあると考えた
- 「フロンティア」をめぐる抗争は大陸横断鉄道により激化
- アメリカ東海岸と西海岸をつなぐことを目指す
- 先住民(インディアン)の生活圏を脅かすことでもあった
- 「フロンティア」は西の方向だけを意味するの?
- 本当の「フロンティア消滅」はアメリカ中部
- アメリカ南西部はのちに「ラスト・フロンティア」として宣伝される
- フロンティア抗争の犠牲者として有名になったカスター将軍
- カスター将軍とはどのような人?
- カスター将軍とシッティング・ブルの戦いは伝説化する
- 19世紀末には「フロンティア」を再現するショウが流行
- ワイルド・ウェスト・ショウとはどのような見世物?
- 本物の西部開拓者として人気を集めたバッファロー・ビル
- 「フロンティア」は現在のアメリカ国家のイメージ形成にも活用される
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。アメリカ形成期は、アメリカという国が発展するプロセスであると同時に、現在にも影響を残す多くの衝突があった。そこで、「フロンティア」をキーワードに、アメリカ形成期のできごとをまとめてみた。
「フロンティア」が意味することは?
フロンティアとは直訳すると「辺境」。まだ開拓されていない、未発達の地というニュアンスで使われます。ただ、フロンティアという考え方は、ヨーロッパから入植した白人の目線によるものであることを忘れてはなりません。
アメリカ東海岸の13植民地から始まる
17世紀から18世紀にかけて北アメリカ大陸の東海岸にイギリス人が入植。それにより成立した植民地を「13植民地」と総称します。その時点で植民地はイギリス領として位置づけられていました。
本国による過度な課税などに反発した植民地は対立姿勢を強めていきます。その結果、13植民地は1776年にアメリカ独立宣言を発表。本国であるイギリスから独立を果たします。
フロンティア=未開の地が意味すること
入植者たちは、東海岸の人口増加やカリフォルニアにおける金鉱発見をうけて、さらなる新しい土地の獲得を目指します。それが「西部開拓時代」と総称。アメリカ形成期を象徴する時期となりました。
「フロンティア」は、白人が住んでいない「未開の地」であることが前提。その地に居住することは「文明化」の証とみなされました。実際は、以前から暮らしていた先住民(インディアン)を武力で制圧することを意味しました。
フロンティアの開拓を通じて白人開拓者は何と戦った?
By Henry Bryan Hall – http://www.panteek.com/PicturesqueAmerica/index.htm, Public Domain, Link
ヨーロッパからの移民が増え続け、東海岸の植民地は爆発的な人口増加にみまわれます。そのため自力で生活の場を開拓する必要性に迫られました。そのような状況に追い込まれた人々は「未開拓の地」においていったい何と戦っていると感じられたのでしょうか。
西への前進をはばむ自然の脅威
ひとつはフロンティアを開拓する過程で直面する自然の脅威。多くの白人開拓者がときには家族を連れて荒野を移動します。整備されていない峡谷や砂漠地帯を横断することも多々ありました。
そのなかで命を落とす人は多く、開拓者が進む道には亡骸が残されていることも。そこでフロンティアの開拓は、人間の力をはるかに超えた自然の脅威との闘いとみなされました。
先住民(インディアン)もまた脅威として位置づけられた
自然にくわえて、フロンティアとされるエリアにもともと暮らしていた先住民(インディアン)も前進をはばむ脅威として認識。彼らは文明化されていない「野蛮人」として、開拓者たちと対比されるようになりました。
一部の部の先住民(インディアン)は武装化し、テリトリーに侵入してきた入開拓者に弓矢を向けるように。場合によっては大きな争いに発展。双方に多大な犠牲をもたらすことになりました。
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