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【三国志】勇猛な武将「張飛」その一生を中国史マニアが分かりやすくわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ。今日は、蜀の国の大将劉備を義兄と慕う「張飛」について、勉強していこう。劉備と義兄弟の契りを結んだとして有名な『桃園の誓い』から、数十万の軍勢を一喝で退けた『長阪の戦い』、そして張飛の最後の時などをわかりやすくまとめておいた。

年間100冊以上を読む読書家で、中国史マニアのライターKanaと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/Kana

年間100冊以上を読破する読書家。現在はコーチ業に就いており、わかりやすい説明が得意。中国史マニアでもあり、今回は『張飛』について、わかりやすくまとめた。

張飛について学ぶために『三国志正史』と『三国志演義』の違いを知ろう

 張飛について勉強する前に、今回の張飛についての逸話はその殆どが『三国志演義』によるものです。そこで『正史』『演義』と場面を切り替えながら勉強していきましょう。

『三国志正史』
 こちらは、三国時代終焉まもなく書かれたもの。魏の後継である晋の知識人である「陳寿」(ちんじゅ)によって書かれたものであり、殆ど歴史そのままで書かれている歴史書です。しかし、書いた当人が晋の人間であったため、やや魏よりの描写が多く感じられます。

『三国志演義』
 こちらは、三国時代終焉から随分経った後、明の時代に書かれました。主人公を「劉備」とし、各地に残る逸話をどんどん取り入れていった小説です。大げさな描写も多く見られ、三国時代の人間離れした逸話は殆どこちらから伝わったもののようですね。日本でいうと殺され晒された後も、首だけ何か月も腐らずその後飛び立ったといわれる『平将門の首塚』のような伝説的なお話も多いようですね。

 まずは張飛の字(あざな)です。

『正史』
こちらでは「益徳」(えきとく)
『演義』
しかし、演義での張飛の字は「翼徳」(よくとく)といいます。

 このように今回は、『三国志正史』『三国志演技』とわけて勉強していきましょう!

出生年は不明。登場は劉備との出会いから。

image by PIXTA / 14752239

 張飛の生まれた年は伝わっておらず、生まれた場所は『幽州涿郡』(ゆうしゅう・たくぐん)という所です。そして張飛が仕えるようになる「劉備」(りゅうび)の生まれもこちらでした。

『正史』
 彼らの出会いは、劉備による募兵(兵を集めること)でした。その当時は『黄巾の乱』が起きており、世は乱れていました。それを憂いた劉備が黄巾族討伐のために兵を集めた所に、張飛とさらには義兄弟となる「関羽」(かんう)が現れたのです。そこから二人は劉備の護衛を務めるようになります。この時に、関羽の方が年長であったため、張飛はそのまま兄と慕いました。

『演義』
 一方演義での出会いは、黄巾族討伐の義勇兵を募る、と書かれた立て看板を見ていた劉備に、張飛が声をかけたそうです。そのまま意気投合した二人は酒屋に向かい、盛り上がりました。そこにたまたま居合わせた関羽も混ざり、三人で酒を飲み交わしたのです。その後、現代まで伝わる『桃園の誓い』で義兄弟の契りを結ぶシーンへと移り変わります。美しい桃の花が咲き誇る桃園で、三人が杯を合わせながら「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん」との誓いを立てました。そう、あの有名な『桃園の誓い』は『演義』のみの創作のシーンなのです。

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あの有名な『桃園の誓い』がフィクションであったとは驚きだな!ここからわかるように、張飛の逸話のほとんどは『三国志演義』によるものなんだな。

\次のページで「初めての戦いは、大反乱『黄巾の乱』の鎮圧」を解説!/

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