
4-2 百日天下
しかしナポレオンはここで終わりませんでした。彼はなんとエルバ島を脱出。この脱出に関して当時の新聞の見出しが、初めは怪物などと表記していたのにナポレオンがパリへ到着する頃には陛下のご到着などと書かれていました。なんとも面白いですね。そして彼がパリへ着く頃にはルイ18世はとっくに亡命した後でした。
4-3 ワーテルローの戦い
By Clément-Auguste Andrieux (1829–1880) – Base Joconde, パブリック・ドメイン, Link
パリへ戻ったナポレオンでしたが、彼の天下はそう長くはありませんでした。1815年にイギリス、オランダ、オーストリアなどの各国は打倒ナポレオンを掲げフランスを攻撃。そこへプロイセンも参戦し、ついにナポレオンは倒されることに。こうしてワーテルローの戦いは集結と同時にナポレオンの百日天下も終わりを迎えました。
その後ナポレオンは再び島流しへ。2度目の島流しは南大西洋に位置する火山島、セントヘレナ島。1815年に流刑されて、その後6年後に没しました。彼の死因は毒殺とも病気であったとも言われています。
4-4 ナポレオンの功績
ナポレオンはヨーロッパ大陸の支配を目的に、1805年から大陸各地へ戦争を仕掛けました。そうした中で、フランス革命の理念がヨーロッパ中に広まることに。フランス革命前では、身分の違いが当たり前で個人の自由はなかった時代。しかし革命を通して、王政ではなく個人の尊重が叫ばれたことは、その後の19世紀で起こった自由主義やナショナリズム(国民運動)へ繋がっていきます。そう考えると、ナポレオンの功績はとても大きなことですね。
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フランスに誕生した英雄!
フランス革命後に登場したナポレオン。彼は多くの戦いによってフランスの領土を拡大していきました。そして国内においては、国民からの熱望で軍人の身でありながら皇帝へとなりました。
1812年のロシア遠征の失敗から彼の人生は暗転してしまいますが、再び返り咲いてみせます。
フランス一国で各国の連合国を敵に回しても戦う姿勢は素晴らしいですね。ナポレオンが引き起こした各国への戦争は、ヨーロッパ中に自由主義やナショナリズムを起こしました。この流れは各国がウィーン体制を敷いていても止められない大きな動きへ。
フランスの混乱期に颯爽と登場したナポレオンは、今日でも多くの人を魅了しています。