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ドイツ小貴族の娘「エカテリーナ二世」が大帝まで上り詰めた理由を歴女がわかりやすく解説

2-1、エカテリーナ、ピョートル大公と結婚、皇太子妃に

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エカテリーナはエリザヴェータ女帝に気に入られ、改宗の翌日にピョートル大公と婚約、翌年1745年に結婚、皇太子妃となりました

しかしエカテリーナにとってピョートルは、はっきりいって愛情を感じるような存在ではなかったよう。ピョートルにとってもエカテリーナはドイツ育ちでドイツ語で会話できるというだけで、エカテリーナの回想によれば、兵隊遊びに熱中するような知的障害のあった人だったということ。政略結婚とはいえ、なんとも悲しい結婚ではありますが、エカテリーナはそれを納得済みでいたこともすごいですね。

2-2、気まぐれな義理の叔母エリザヴェータ女帝に気に入られようと努力

エカテリーナは14歳で皇太子妃になりましたが、自分の立ち位置を理解していたので、夫のピョートル大公よりも、義理の叔母であるエリザヴェータ女帝に気に入られることを使命にがんばりました。
エカテリーナは最初から全身でロシアになじむ努力を怠らず、ロシア語を会得、ロシア正教にも熱心に信仰、そして宮廷内の動静などもじっくり観察し、宮廷にはびこる陰謀には関わらずに、あくまで慎重にエリザヴェータ女帝の信頼を得ることに勤め、その上にモンテスキューの「法の精神」など色々な本を読み漁って教養を高め、国内を旅行すればロシア国民の暮らしを観察していたということ

そういうエカテリーナの姿勢は、野心家の母ヨハンナが宮廷の陰謀に巻き込まれたときに効果を発揮して、母は宮廷を追放されても娘は別と、エリザヴェータ女帝のエカテリーナへの信頼はゆるがなかったそう。

2-3、女帝公認の相手と不倫関係になり、息子を産む

エカテリーナの夫ピョートル大公は結婚後何年たっても、ベッドに人形を置いて兵隊ごっこをするのが趣味の人で、後継ぎを望むのは無理っぽい状態でした。そういう事情はエリザヴェータ女帝も知っていて、女帝の黙認で貴族の男性(セルゲイ・サルトゥイコフ)と関係を結び、数度の流産の末エカテリーナが25歳のときに生まれたのが、息子のパーヴェル大公
当時から誰もパーヴェル大公がピョートル大公の息子だと信じる者はいなかったということですが、エリザヴェータ女帝は生まれたばかりのエカテリーナの息子を継承者と認め、エカテリーナから取り上げて養育。息子パーヴェルとはそのせいか生涯を通じて気持ちの通わない親子になったよう。

エリザヴェータ女帝は気まぐれで享楽的な人で、エカテリーナは女帝のわがままや気分次第の態度に必死に対応していたのですが、後年回想して「自分以外の人がこんな目に合えば、きっと気がおかしくなっているだろう」と述懐するほどだったということです。

3-1、エリザヴェータ女帝が亡くなり、夫はピョートル3世皇帝に

エリザヴェータ女帝が亡くなったときはエカテリーナは32歳、しかし夫ピョートルにはエカテリーナの侍女だった愛人エリザヴェータ・ヴォロンツォヴァがいて、エカテリーナと離婚してこの愛人と結婚すると脅迫されていました。

また、ピョートルはドイツ生まれのせいで、プロイセン王フリードリヒ2世を尊敬し、皇太子時代からエリザヴェータやロシア貴族と対立していました。しかも当時は七年戦争で、ロシア軍がプロイセン領内に侵攻し、あと一歩というところまでフリードリヒ2世を追い詰めていた戦況だったのに、即位後にいきなりプロイセンと講和条約を結んで兵を引かせたので、ロシアの内外から大ブーイング。
そしてピョートルはルター派の信者としてロシア正教会にも弾圧を加えたので、貴族にも民衆にもピョートル3世を廃してエカテリーナを帝位にという声が高まっていました。

3-2、エカテリーナ、クーデターを起こして女帝に即位

このときのエカテリーナの愛人は軍人貴族のグレゴリー・オルロフで、彼は5人兄弟が全員近衛兵という家系。エカテリーナには信頼できる側近たちがいて、彼らが貴族の支持を取り付け、また愛人のオルロフ5兄弟がロシア軍にエカテリーナに味方するよう運動、エカテリーナも凛々しく軍服を着て馬にまたがり指揮し、結果として、エカテリーナはピョートル3世から政権を無血で奪取し、ピョートルの側近たちも処罰せずに許して、エカテリーナ2世として即位したのです。

エカテリーナは9歳の息子パーヴェル大公がいたからこそ、大人になるまでの間の暫定的な女帝、という意味で支持した貴族もいたはずですが、エカテリーナ自身はそのつもりはなく自分が親政する気満々。
また、一般庶民全員がエカテリーナを支持したというわけでもなく、1773年にヴォルガ川流域で勃発したプガチョフの乱は大規模なものでしたが、1775年に鎮圧され、幽閉中だったイヴァン6世(ピョートル1世の兄の曽孫で、エリザヴェータ女帝のクーデターで廃位された)を担ぎ出す陰謀があったが看守に殺害され、エカテリーナはその後34年にわたって親政したのでした。

ピョートル3世の暗殺

在位6ヶ月のピョートル3世は廃位・幽閉されましたが、間もなく監視役のオルロフ兄弟のアレクセイ・オルロフに暗殺されたという話が。公式には、「前帝ピョートル3世は持病の痔が悪化して急逝、エカテリーナ2世はこれを深く悼む」と発表され、エカテリーナ2世は関与を否定するも真相は不明のままということ。

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