
石山詣では数多くの文学作品を生んだ
平安時代の中期、宮中に努める女房たちのあいだで石山詣でが大ブームに。紫式部の他、清少納言、藤原道綱母、菅原孝標女など、平安時代の文学をけん引した女性たちが石山寺を訪れています。
そのため平安時代の中期に書かれた女流文学の多くに石山寺が登場。「和泉式部日記」によると、敦道親王との関係が上手くいかずに心が沈んだ和泉式部が石山寺を詣でたこともあったそうです。

紫式部が石山寺を詣でたとき、十五夜の月を見ながら「須磨」と「明石」の巻の着想を得たと言われている。現在の石山寺には「紫式部の間」という部屋があるそうだ。紫式部が見たであろう風景に接することができるな。
「源氏物語」が執筆されたのが京都御所
By Saigen Jiro – 投稿者自身による作品, CC0, Link
紫式部が「源氏物語」を主に執筆したのが宮中。藤原道長の娘である中宮彰子のもとで書き続けました。そこから京都御所が、紫式部が宮仕えをしながら物語を書いた場所であると言えます。
京都御所とはどのような場所?
京都御所とは京都市内にある皇室の関連施設。かつては代々の天皇が住み、儀式や公務などをしていたところです。現在、天皇家は東京都千代田区にある皇居に居住。そのため京都御所は宮内庁の管轄となっています。
また京都御所では、春と秋に「雅楽」や「蹴鞠」など宮中に伝わる文化を再現する催し物を開催。そのほか、歴代の天皇が住まわれていた御所内を見学することができます。
京都御所から見える平安時代
現在の京都御所は、内裏が焼失したときに天皇が仮住まいするために建てられた東洞院土御門殿に由来するもの。紫式部が実際に出入りしていた宮中は、京都御所から西に約2キロのところにありました。
しかしながら、京都御所内にある建物の位置関係や役割は平安時代とも共通。天皇だけが通ることができる「建礼門」のほか、牛車で入る御殿や使者が待機する御殿など、当時の身分制度をリアルに感じ取ることができます。

御所内には散歩している地元の人もおり、ゆっくりとした時間を過ごすことができる。せっかく京都御所に入るなら、それぞれの建物の意味をパンフレットなどで確認しよう。かつて宮中でどのようなことが行われていたのか実感できるはずだ。
紫式部が参拝したらしい?上賀茂神社
By 663highland – 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, Link
紫式部が何度も通ったことで知られるのが上賀茂神社。正式な名前を賀茂別雷神社といいます。京都市内にある神社のなかでも長い歴史がある神社。平安京に遷都したあとは宮中の鎮護社としての役割を担いました。
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