新選組の終局
徳川家のために懸命に刀を振るってきた近藤たち。敗戦が続く中、終わりの時は確実に近づいていきます。
盟友たちとの別れ 近藤勇の死
甲府での戦いに敗れて江戸に戻った新選組(甲陽鎮撫隊)から、生え抜きともいえる古参の隊士『永倉新八』と『原田左之助』が意見の違いから脱退しました。さらに局長の近藤勇が新政府軍に捕らえられて処刑され、結核を患っていた沖田総司も病死します。
残された土方歳三は江戸から北上するように転戦しますが、会津において『斉藤一』が松平容保を守護するために離隊。土方はさらに北上して蝦夷地(北海道)で榎本武揚と合流しました。
土方歳三の死 新政府軍への降伏
蝦夷地に渡った土方たちは二股口の戦いなどで活躍しますが、新政府軍は勢いを増していき戦局はやがて不利になっていきます。そしてかつては鬼の副長として恐れられた土方歳三が銃撃により戦死、その3日後に新選組はついに新政府軍へと降伏するのです。さらにその4日後の明治2年(1869年)5月18日に旧幕府軍も降伏し、1年以上に亘った戊辰戦争が終結します。ここに刀で切り拓かれてきた旧い時代が終止符を打ちました。
激動の時代を駆け抜け、敗れ去った新選組
幕末に活躍した侍集団、『新選組』。時代が激しく動いていく中、最後まで徳川家への忠誠を貫いた彼らはある種のヒーロー像として民衆から支持を得るようになります。その足取りや組織の変遷を見つめると、幕末のパワーバランスの変遷を理解することができるでしょう。政治の中心が京都へと移り、はじめこそ長州藩たち倒幕派の志士たちを退けますが、やがて時代の波に押し返されるように東へ、北へと敗走していく……彼らが今も絶大な人気を誇っているのは、そこに日本人固有の美学があるからかもしれません。時代が大きく動くとき、そこには必ず勝者だけではなく敗者がいます。そして敗者もまた歴史において確かな役割を担っているのです。新選組はこれからも、そのことをわたしに教え続けてくれるでしょう。