日本史

明治政府の内閣顧問にも就任!政治家「島津久光」を元塾講師が分かりやすく5分で解説

よぉ、桜木建二だ。今日は島津久光について勉強していくぞ。島津久光は日本の政治家であり、幕末から明治時代にかけて活躍した人物だ。最も、「島津」と聞くとあの西郷隆盛を育てた島津斉彬を想像する人が多いだろう。

しかし、島津久光も歴史に名を残した決して無視できない人物だ。島津斉彬は島津久光の異母兄にあたる上、彼は公武合体運動を推進して明治政府の内閣顧問まで務めており、今回日本史に詳しいライターリュカと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リュカ

元塾講師で、現役のライター。塾講師とライター業に共通して「わかりやすい伝え方」に定評がある。今回は得意分野のひとつである「歴史」から島津久光をわかりやすくまとめた。

島津久光 誕生とお由羅騒動

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島津久光の誕生

島津久光は1817年、薩摩国鹿児島郡にて薩摩藩第10代藩主・島津斉興(しまづなりおき)の元に生まれます。母は側室のお由羅の方で、島津久光の幼名は普之進(かねのしん)でした。母の身分の低さから、養子となって公子(藩主の子)の待遇を受けますが、後に島津宗家に復帰するとその機会に名を又次郎へと改称しています。

さて、藩主の子である島津久光は父・島津斉興の死後にその後を継いで藩主になることを想像しますが、ここで歴史に残るほどお家騒動が起こり、それがいわゆるお由羅騒動と呼ばれる事件でした。そして、このお由羅騒動において島津久光の異母兄・島津斉彬も関わってきます。

島津久光は藩主の子とは言え、母・お由羅の方は側室です。一方、異母兄となる島津斉彬の母・弥姫は正室ですから、本来なら正室の子である島津斉彬が次期藩主となるのが順当な流れでした。しかし、正室・弥姫の死去によって状況が変わります。

お由羅の方騒動とその結末

正室・弥姫の死後、お由羅の方は正室との子以外で島津斉興の生き残った子を生んだ唯一の母ということもあり、側室でありながら御国御前と呼ばれて正室同様の待遇を受けるようになります。お由羅の方は島津斉彬よりも実の子である島津久光を愛しており、また藩主である島津斉興もお由羅の方を愛している状況です。

さらに、島津斉興も正室の子である島津斉彬よりもお由羅の方との子である島津久光を次期藩主に推していました。そんな島津久光派の動きに気づいた島津斉彬、彼もまた味方は多く、薩摩藩の正当な後継者として知られた彼を推す薩摩藩士は大勢いたとされています。

こうして起こった争い……すなわちお由羅騒動は、結果として島津斉興が隠居、正室の子となる島津斉彬が後を継いで藩主となるという順当な結果で幕を閉じました。騒動を起こしたお由羅の方も処罰されることなく過ごしたとされています。

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まずはこのお由羅騒動をしっかり覚えておこう。ちなみにお由羅騒動は歴史のドラマとして扱われたこともあり、解説だけでしっくりこないならドラマを見てみるのも良いだろう。ちなみに。島津久光と島津斉彬の兄弟としての仲がこじれることはなかったようだ。

島津久光 藩政の実権を掌握

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