フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史世界史歴史

ヨーロッパの名門「ブルボン家」出身者たちを世界史大好き歴女が5分で解説!

フランス革命の意義

フランス革命は、これまでの絶対王政を築いてきた王政に変化を生じさせました。また単なる国王処刑にとどまらず、絶対王政を行っている他国の君主たちにも危機感をもたらせます。そして革命議会が採択した人権宣言は自由や平等などの理念を世界に広めました。革命後のナポレオンによるヨーロッパへの侵攻によってこれらの理念は浸透し、各国の自由主義ナショナリズムへと繋がることに。

ブルボン朝の最期

フランスではルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されていた頃、スペイン・ブルボン家ではカルロス4世の治世でした。フランス革命の余波は隣国スペインへも波及することに。ここではスペイン、フランスのブルボン家の最期の君主を紹介していきます。

スペイン・ブルボン家の終焉

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By フランシスコ・デ・ゴヤMuseo Nacional del Prado, パブリック・ドメイン, Link

スペイン・ブルボン家は当時カルロス4世の時代でした。しかし実際に政治の実権を握っていたのは、王妃マリア・ルイサとその愛人ゴドイ

この絵は、宮廷画家ゴヤの「カルロス4世とその家族像」です。通常の肖像画なら、本人たちよりも3割ほど粉飾しますが、この絵は違いました。ゴヤは王家の腐敗を見抜いていたのです。

 この絵が完成された後、フランスではナポレオンがフランス皇帝として即位。そして1808年にフランス軍がスペインに攻め込んできました。なんと息子のフェルナンド7世がナポレオンを引き入れたのです。フェルナンド7世は両親とゴドイに不満を抱いていたのでした。その結果カルロス4世らはスペインから亡命。

両親を追放し即位したフェルナンド7世でしたが、ナポレオンが実の兄をホセ1世としてスペインへ送り込みました。これによってフェルナンド7世は王位を奪われることに。ナポレオンの失脚後に再び王位に就いたフェルナンド7世でしたが、異端審問を再開させ絶対王政の反対者を次々処刑しました。

フェルナンド7世は男児に恵まれなかったため、ここで直系は途絶えることになりました。

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ナポレオンの侵攻で王家の中で対立が起こってしまったスペイン・ブルボン家。追い出されることになったカルロス4世らはルイ16世と比べるとまだ命があっただけ良かったのかもしれないな。

王政復古を遂げたブルボン朝

次にフランスです。フランスではナポレオンがエルバ島に流刑となり失脚した際に、ウィーン体制でルイ16世の弟ルイ18世が王位へ。ブルボン家が王政復古を遂げたのです。ルイ18世の政策は、亡命貴族の優遇などを行ったため国民から非難されることに。

そんな中ナポレオンが再びパリに足を踏み入れました。ルイ18世はロンドンへ亡命。ナポレオンの百日天下が終わるとまた王位に就いた18世は、依然として亡命貴族の優遇をします。そんな中メデュース号事件が起きました。この事件では元亡命貴族の船長が船を座礁させて乗客を避難させずに逃げた事件。この事件を題材にジェリコー「メデュース号の筏」が発表されると、人々はブルボン家への憎しみを募らせました。この事件をきっかけに自由主義者がブルボン家の断絶を狙い、後継者のベリー公が暗殺されました。

最期の王、シャルル10世

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By ウジェーヌ・ドラクロワThis page from 1st-art-gallery.com, パブリック・ドメイン, Link

ルイ18世が死去すると、シャルル10世が即位。シャルル10世は兄と同じく亡命貴族を優遇し絶対王政を目指します。そして7月革命が起こったのです。7月革命によってシャルル10世はイギリスへ亡命することとなり、ついに250年続いた王朝は幕を閉じることに。

華やかなフランス文化を築き上げた名門

今回はブルボン家のルーツや歴代の有名な人物たちを何人かピックアップして紹介しました。250年余りフランスを治めた一族、ブルボン家。何もなかった沼地が今では世界遺産となったヴェルサイユ宮殿をはじめ、フランスの宮廷文化は世界中の憧れの的となりました。華やかな時代を彩った者もいれば、時代の激動の波に翻弄される者も。

フランスとスペインの歴史を振り返った時に、魅力的な登場人物たちを多く出したブルボン家は今でも多くの人々に人気を博しています。

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totocco0630