フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史世界史歴史

ヨーロッパの名門「ブルボン家」出身者たちを世界史大好き歴女が5分で解説!

マリア・テレサがもたらしたもの

マリア・テレサがフランスにもたらしたものはココアとスペインでした。

彼女が亡くなって17年後にスペインは継承者問題に直面。カルロス2世が世継ぎなく亡くなったのです。

ルイ14世はマリア・テレサが結婚時に持参金を持ってこなかったことを理由に条約は無効とし、継承問題に口を挟みました。ここからスペイン継承戦争が起こりフランスが勝利。ルイ14世は孫をフェリペ5世にすることを承認させました。こうしてブルボン家はスペインにも広がることになりました。

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ルイ14世の一生は華やかな印象を受けるな。マザランから帝王学を学んで王としてフランスに君臨し、自身を神格化したことでより権威を高めることは普通の人間にはできないことだな。

フランス革命の激動を生きたルイ16世とアントワネット

フランス革命の時に治めていた悲劇の王、ルイ16世とその王妃マリー・アントワネット。彼らは絶対王政が揺らぎ、貴族、民衆が王政を否定し革命を起こしたことで、革命の波に飲み込まれました。ここではそんなルイ16世とマリー・アントワネットについて紹介していきます。

政略結婚だった2人

ルイ16世とマリー・アントワネットは政略結婚でした。当時のフランスとオーストリアは長い間対立してましたが、イギリスがプロイセンに接近したため、両国は関係を改善させることに。こうしてマリー・アントワネットは、かつての敵国フランスへと嫁ぐことになりました。

しかし2人の結婚式では3つの不吉な出来事が起こりました。1つは結婚式場に用意された布に描かれた絵がギリシャ神話のメディアだったのです。メディアは、夫が裏切ったため自分たちの子どもを殺してしまう異国の王女の話。とても結婚式に使える絵ではありません。2つ目は、ヴェルサイユでの結婚式で急に天気は崩れ大嵐になったことです。日を改めて式を行うと群集が押し寄せたため100人以上の死傷者が出ることに。3つ目は、結婚契約書での署名でアントワネットがサインした時にインクを落としたことです。紙に落ちた大きなシミはこれからの2人の不幸を暗示しているよう。またアントワネットのサインは右肩下がりでした。まるでゆっくりと不幸がやってくるように。

赤字婦人と呼ばれた王妃

結婚式の不吉な予兆とは裏腹にアントワネットはフランス国民から歓迎されます。彼女は平和の象徴とされたのです。しかしアントワネットは7年経っても子どもを授かることはできません。この原因はルイ16世にあり、その後ルイ16世が手術をしたことで子どもを授かりますが、既に国民からの人気は落ちていました。

アントワネットは次第に宝石や衣装にと浪費し、芝居や舞踏会と遊び惚けます。フランス国民の間では彼女のことを赤字婦人と呼ぶように。

公式寵姫を持たなかったルイ16世

またルイ16世は当時の王としては珍しく、公式寵姫を持ちませんでした。本来公式寵姫は王妃のスケープゴート。王政の政策で失敗や財政難となった場合、公式寵姫が政治に口を出した、あるいは贅沢をしたから財政難になったとされ、国民から非難される存在でした。つまり、王妃は世間から守られていたのです。しかしルイ16世には寵姫がいなかったため、贅沢三昧をするアントワネットに国民の怒りが向かうことに。

フランス革命勃発

バスティーユ牢獄襲撃を皮切りにフランスは革命に突入しました。革命政府が主導し、ルイ16世とマリー・アントワネットはギロチンにかけられることに。ちなみにギロチンはルイ16世の提案で改良が加えられ、以前よりもよく切れるように。まさか自分がかけられるとは思わなかったでしょうね。

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totocco0630