

アンリ4世は、ユグノー戦争から対立していた貴族たちの争いを制してフランス王朝を開くことになったんだな。そして王朝を開いた時にも、国内や国外から自身の宗教を改宗する必要があると考えてカトリックに改宗したことやその後ナントの王令を出した判断力はすごいな。
フランスをヨーロッパ1にした「太陽王」
By unidentified painter from France, パブリック・ドメイン, Link
アンリ4世の治世後、ルイ13世が即位します。そして次に即位したのは、「太陽王」と呼ばれるルイ14世。彼は絶対王政の最盛期に君臨しました。ルイ14世はフランスを軍事面、文化面ともにヨーロッパ1にします。さて、そんなルイ14世は一体どんな人物だったのでしょうか。
5歳で即位したルイ14世
ルイ14世は5歳で即位します。宰相マザランから、帝王学や実践的な政治を学んだルイ14世。マザランの死後、ルイ14世は宰相を廃止して親政を始めます。親政とは国王自ら政治を行うこと。また大臣が権力を持ちすぎないように行政官に引き下げて王の権力を強め、徴兵制によって軍備を強化し絶対王政の絶頂期を築きました。経済面ではコルベールを登用。コルベールは重商主義を取り、フランスに多くの冨をもたらすことに。そしてルイ14世はこれを元にヴェルサイユ宮殿の建設費や戦費に当てました。
しかし晩年にナントの王令を廃止したことで、20万ものユグノー教徒が亡命する事態に。ユグノー教徒は裕福な商人らが多く、結果としてフランス経済の停滞を招くことに。
戦争好きなルイ
戦争好きとしても知られるルイ14世。彼は親政54年間の内32年も戦争に明け暮れました。ルイ14世が起こした大きな戦争は、ネーデルラント戦争やスペイン継承戦争などがあります。しかし戦争のしすぎで治世の晩年には財政が悪化。さすがに戦争しすぎたことを後悔したそうです。
何もなかった沼地を壮大な宮殿に
ルイ14世は1661年からヴェルサイユ宮殿を建設します。もともとヴェルサイユは沼地でした。宮殿建設は30年以上も続き、多くの農民が命を落とすことに。
ルイ14世は貴族らを宮殿に呼び住まわせました。貴族にとっては没落を防ぎ特権を維持したい思惑があり、ルイ14世にとっては監視することが目的でした。
完成したヴェルサイユ宮殿は、他国の君主をも魅了します。プロイセンのフリードリヒ2世やオーストリアのマリア・テレジアなどはヴェルサイユをイメージした宮殿を造り、フランス語を話しフランス語で手紙を書くほどでした。
フランス文化のパトロン
ヴェルサイユ宮殿内では行事や行動などが儀式化されていました。また宮廷内ではダンスや音楽が必須ででした。ルイ14世はフランス文化にも力を注ぎ、多くの芸術や化学アカデミーが誕生しました。彼が保護した有名な文学者や芸術家には、コルネイユやシャルル・ルブタンらがいます。
スペイン・ハプスブルクからのプリンセス
ルイ14世が22歳の時、スペインからハプスブルク家出身のマリア・テレサが嫁いできました。この結婚はピレネー条約によって決まったことでした。条約ではフランスはスペインから賠償金を求めない代わりに持参金を持ったスペイン王女をもらうというもの。そして2人の間に生まれた子どもはスペインの継承権を持たないという内容でした。
かつては栄華を誇ったスペインも、今や没落しつつあり持参金を持たせることができませんでした。マリア・テレサは既に時代遅れとなったドレスで嫁いできたため、宮廷人に影で笑われてしまいます。彼女はもともとフランスへ嫁ぐ予定ではなかったため、フランス語の教育は十分とは言えず、嫁いだ後苦労することに。
ヴェルサイユに移って1年後に、王妃は44歳でこの世を去ります。彼女の死を知ったルイ14世は、「彼女が余に迷惑をかけるのはこれが初めてだ。」と言ったそう。