室町時代戦国時代日本史歴史

武人としても一流「細川幽斎」を歴女がわかりやすく解説!道を究め深い教養が身を助けた細川幽斎の生涯とは

3-1、幽斎、趣味を通じて家康にも接近

幽斎は、武将としてだけでなく教養人としても重宝な存在で、千利休や木食応其(もくじきおうご)らと共に、秀吉のお側衆として仕えました。幽斎の嫡子忠興(三斎)も茶道に造詣が深く千利休の高弟の一人。
また幽斎は一方で慶長3年(1598年)に秀吉が死去する以前から家康と親交。「言継卿記」では、文禄3年(1594年)頃には頻繁に家康と食事している記録もあり、「耳底記」には関ヶ原の年の慶長5年(西暦1600年)5月4日に家康が吉田兼見の許を訪れ、公家の山科言経、柳原淳光、幽斎、山名禅高、その他の人と一緒に碁をうち、幽斎が鯉庖丁を披露したと記されているそう。

耳底記(じていき、にていき)とは、公家の烏丸光広が、細川幽斎の言葉や、幽斎との問答を筆録した歌学書で、幽斎が太鼓を叩いたり、招待客に古今伝授の資料を披露し、庖丁術も披露していることなどが記されています。

3-2、幽斎の弟子は当代一流の文化人

幽斎の門人には、後陽成天皇の弟宮で秀吉の猶子だった八条宮智仁親王ほか、公家の中院通勝、烏丸光広など、松永貞徳、木下長嘯子らも。薩摩の島津義久は幽斎が義昭に仕えていた頃から交友関係にあり、幽斎から直接古今伝授を受けようとしたといわれています。
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4、関が原前夜、細川家、石田三成軍に攻められる

嫡子忠興は、家康の会津征伐に参加して留守の間、細川家では、大坂屋敷に忠興正室ガラシャが、居城の田辺城には幽斎と3男の幸隆がいたので、石田三成軍が挙兵した後、細川家が狙われることに。

4-1、大坂屋敷では嫁のガラシャが自決し、幽斎の城にも石田三成の軍勢が

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慶長5年(1600年)6月、幽斎の嫡子忠興は、家康の会津征伐に参加したため、幽斎は三男の細川幸隆と共に500に満たない手勢で丹後田辺城を守っていました。そして7月になると石田三成らが家康討伐の兵を挙げて、大坂の大名屋敷にいた大名の夫人や家族を大坂城に人質として入るように要請。真っ先に忠興の正室で美貌のガラシャの屋敷へ来たのですが、忠興の命令でガラシャは家族や家来たちを逃がした後、屋敷に火を放って、家老小笠原少斎の手によって殺害
尚、幽斎の正室麝香は、ガラシャの死で思うところがあったらしく後に洗礼を受け、細川マリアに。

そして幽斎のいる田辺城も、石田三成配下の1万5000人の大軍に包囲され、幽斎たちは籠城。しかし攻囲軍の中には、なんと幽斎の歌道の弟子も多くいて、戦闘意欲に乏しかったということで長期戦に。

4-2、幽斎、古今伝授を理由に朝廷を動かす

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幽斎は歌人として、公家の三條西家に代々伝わる古今伝授を三条西実枝(さねえだ)から受けていました。これは三條西家の跡継ぎが幼いために、幽斎が伝授されたものを、三条西公国とさらにその子三条西実条に返し伝授することになっていたという一時的な処置。そういう理由で、幽斎は当時唯一の古今伝授の伝承者であることで、それを伝授しないまま戦死すれば永久に失われると、幽斎の歌の弟子の一人で秀吉猶子だった八条宮智仁親王に、包囲軍を突破してまで使者を送って伝えたのですね。

八条宮は7月と8月の2度にわたって講和を働きかけたのですが、幽斎はなぜか武将としての意地を示して謝絶し、籠城戦を継続。そして「古今集証明状」を八条宮に贈り、「源氏抄」と「二十一代和歌集」を後陽成天皇に献上。いよいよもって八条宮が兄の後陽成天皇に奏請し、三条西実条、中院通勝、烏丸光広が勅使として田辺城に赴き、関ヶ原合戦の2日前に勅命による講和になり、古今伝授で天皇を動かしたおかげで、幽斎の2ヶ月に及ぶ籠城戦は無事に終了。
しかし嫡男忠興は、西軍に屈した幽斎に対し怒りをあらわにし、一時不仲であったそう。

4-3、幽斎は武道にも文芸にも秀でた教養の持ち主

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幽斎は、まさに文武両道、オールマイティーな人で、武人としては剣術等の武芸百般をこなし、剣術はあの塚原卜伝に学んだし、弓術の印可も受け、弓馬故実(武田流)を武田信豊から相伝されるなど、武芸にも高い素質があったうえに、大変な怪力の持ち主でもあり、京都の路上で突進してきた牛に立ち向かい、牛の角をつかんで投げ倒した、また、織田信雄の屋敷の門番が取り押さえようとすると、門番が悲鳴をあげるほど手を握り潰したという逸話も。そして、嫡男忠興と共に遊泳術にも優れていたそう。

文芸は古今伝授を受けた和歌は言うまでもなく、当時流行していた連歌、茶道、蹴鞠等を修め、さらには囲碁、包丁術、猿楽などにも深い造詣が。著作に、「古今若衆序」「百人一首抄」「古今和歌集聞書」「衆妙集」「伊勢物語闕疑抄」「詠歌大概抄」「九州道の記」「東国陣道の記」があります。

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