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室町幕府の衰退を加速させた内乱「応仁の乱」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

室町時代の衰退

応仁の乱は戦国時代の始まりと言われており、それは応仁の乱での戦い方が理由となっています。当時、人事において家格や序列は最も重要な部分でしたが、応仁の乱においては戦いを有利に進めることを目的に、これらを無視した人事が行われました

その結果、守護家に匹敵する勢力を持つ国人が台頭、この風潮が下剋上を生む原因となり、そのため戦国時代が始まることになったのです。また、これまで幕府は守護に支えられてきましたが、没落する守護が現れはじめたことで脆弱になっていきました。

これは将軍の権威の低下を意味しており、室町幕府が衰退する結果となります。応仁の乱は他の戦いと違って決着がつくことがなく、そのためただ人と街を失っただけの空しい戦い…いわゆるこれが「ひとよむなしい」の意味するところでしょう。

京都への被害と公家の没落

領主化を推し進める守護や国人によって、公家や寺社の荘園は横領されることになります。この状況の中、頼れる幕府も衰退したことで権力の届かない地域もあり、そのため荘園制度は崩壊の道を進んでいきました。そして、収入源を絶たれる形となった公家は没落します。

朝廷や官位昇進への興味も失い、京都を去っていく公家、身分を棄てる公家まで現れるようになりました。当然朝廷も収入が減少することになりますから、その影響で儀式の類を行うことすら難しいほど財政難に陥ってしまったのです。

さらに応仁の乱が京都中心に始まったことから、戦火の被害で寺社や公家邸の大半が失われるほどの事態にもなりました。ちなみに足利義政の正室・日野富子は悪女に例えられることが多いのですが、それはこの当時、困窮した東軍・西軍の守護達に金銭の貸し付けなどで利益を上げていたことが理由の1つになっています。

応仁の乱の理解で重要なのは「原因」

歴史的出来事については、時期、原因、内容、結果、この4つを覚えるのが基本ですね。さて、問題はどこに重点を置いて覚えるかですが、応仁の乱の場合は「原因」です。

応仁の乱は長く続いた割に歴史の残るほどの戦いは少なく、内容はそれほど深くありません。それよりも、複雑な原因を把握するのが応仁の乱を理解する上で最適でしょう。

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