
明日をも我が身「盛者必衰の理」
松尾芭蕉の「兵どもが 夢のあと」や『平家物語』冒頭の「盛者必衰の理あり」というように、繁栄していた奥州藤原氏もまた歴史の露と消えてしまいました。もともと奥州藤原氏は、平家と違って中立であり、朝廷や頼朝とも穏便にしてきましたが、栄華を極めてしまったがゆえに頼朝に目を付けられた感が否めませんね。落ち目にあった平家とは違って奥州は元気なわけですから気合の入り方も違います。
絶対に奥州藤原氏を許さず徹底的に滅ぼした頼朝ですが、残念なことに彼の生涯は長くはありませんでした。頼朝の死因は落馬であったとされています。武士なのに落馬が原因で亡くなるとは尋常ではありません。これは義経の祟りではないか、と歴史書にも書かれるほどのことです。これもまた「盛者必衰の理」ですね。
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