日本史歴史鎌倉時代

「阿津賀志山の戦い」でなぜ奥州藤原氏は滅ばなければならなかったのか。源平マニアが5分で解説

よぉ、桜木建二だ。源平合戦が幕を下ろし、鎌倉幕府が開かれる直前の戦争が「阿津賀志山の戦い」だ。相手はそれまでに頼朝が戦っていた平家とはほとんど関係がない東北地方を支配していた奥州藤原氏だ。

なぜ唐突に頼朝は奥州藤原氏と争うことになったのか、日本史に詳しいライターリリー・リリコと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。義経をテーマに卒業論文を書いた。

なぜ奥州と鎌倉は戦いに至ったのか?

image by PIXTA / 11490241

「阿津賀志山の戦い」を含む「奥州合戦」は、鎌倉幕府と東北地方を統治していた奥州藤原氏間に起こった戦争を指します。時は1189年7月、鎌倉幕府成立から四年後のことでした。

平家を滅ぼし、京都の朝廷から政権を奪った源頼朝はなぜ奥州藤原氏をも手にかけたのか。今回はその背景から解説していきます。

源平合戦の終結と義経の官位授与

1185年三月、壇ノ浦の戦いにて六年に及んだ源平合戦は源氏側の勝利に終わりました。源氏の代表は源頼朝でしたが、実際に戦場で指揮していたのは弟の源義経です。義経は後白河法皇にこの功績を認められ、検非違使少尉と左衛門少尉の役職を与えられた上、従五位下の位を下賜されて御所に昇殿する権利まで手に入れます。しかし、義経はあくまでも兄・頼朝の部下でしたから、本来なら頼朝の許可なく官職や位を受け取ってはいけなかったのです。義経に好き勝手されてしまうと頼朝のリーダーとしての資質を疑問視されてしまいますし、そもそも抑えつけておきたい朝廷が頼朝の部下に官職を与え始めると、頼朝自身が武士の職や土地を保証することができなくなる恐れがありました。

義経が官位を受け取ったと知って頼朝は当然激怒します。しかし、相手が後白河法皇となれば義経もなかなか断るわけにもいかなかったのです。義経は頼朝の怒りを解こうと鎌倉へ走りましたが、結局、頼朝に受け入れられずに京都に引き返すことになります。頼朝が義経を断罪する材料は他にもありましたが、官職と位の下賜が一番大きな問題となりました。

頼朝、義経を追うために全国に関所を設ける

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By 歌川国芳Museum of Fine Arts, Boston, online database, パブリック・ドメイン, Link

京都に戻った義経でしたが、後白河法皇が手のひらを返して義経追討の院宣を下して京都からも追われることとなります。義経一行は追っ手と戦いながら最初は九州を目指しましたが、暴風によって船が難破したために家臣たちとはぐれてしまう不運に見舞われてしまいました。後白河法皇に与えられた官職も解任され、しかも、ここでとうとう全国に義経捕縛の院宣が下されます。この院宣をきっかけに頼朝は日本に守護と地頭の設置を後白河院に認めさせ関所を増やしたのです。

兄と敵対し朝廷にも裏切られた義経は、人々から多くの同情を集めました。後世では義経や彼の家臣を主人公とした様々な創作作品が作られます。これがいわゆる「判官贔屓(ほうがんびいき)」ですね。歌舞伎の「勧進帳」「義経千本桜」は義経のこの逃亡劇で、今でも人気作品として上演されています。

義経と奥州藤原氏の関係

九州行きに失敗した義経は次に奥州の統治者である藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼って北上をはじめます。義経は幼少期を鞍馬寺で過ごしていますが、そのまま僧になることを良しとせずに出奔し、母親である常盤御前の縁を頼って秀衡のもとへ身を寄せていたのです。少年期を平泉で過ごした義経にとって奥州は第二の故郷のようなものでした。

それまでの奥州は源平合戦の間も平家と源氏の両方に対して中立の態度を続け、さらに秀衡の巧みな外交によって朝廷ともうまくやり、平和と奥州の独立性を保ち続けていました。けれど、追われる身となった義経を受け入れれば、頼朝との関係が悪化するのは火を見るよりも明らかです。それでも秀衡は義経を匿い、さらに息子の泰衡(やすひら)と国衡(くにひら)と義経の間にある契約を交わさせるのでした。その内容は「義経を主として、三人で力を合わせて頼朝の攻撃に備える」というもので、秀衡が義経をどのように思っていたのかうかがえる契約ですね。

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それまで中立の立場を崩さなかった奥州藤原氏が義経を匿うことによって、頼朝は奥州へ侵略するきっかけをてにいれたわけだ。しかも、義経を捕まえるという名目で守護や地頭なんていう地方の土地を見張りつつ徴税や警察権を実行できる権利まで得た。本来なら朝廷も許したくなかっただろうな。頼朝はこの上なく辣腕な男だな。

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