瑞鳳殿は桃山文化の影響を受けた霊廟
瑞鳳殿は、政宗が生前に残した遺言に従って建てられた霊廟。桃山文化の影響を受けた豪華絢爛な装飾が際立っています。
そのコンセプトは瑞雲なかを舞う天女が亡き政宗を慰めるというもの。仏教的な要素をベースに、蝶や牡丹のような中国絵画のスタイルも加えられました。さらに天を舞う竜は道教の影響を感じさせます。
色彩も漆黒、金、朱、緑、青などカラフルなデザイン。政宗が生前に企画した部分も大きいと言われる瑞鳳殿。彼がいかに華やかな文化が好きだったかがよく分かります。
大崎八幡宮は漆塗りがぜいたくにほどこされた建築物
大崎八幡宮がひらかれたのが1607年。室町時代につくられた大崎八幡宮を仙台に移転させたものです。御社殿は桃山文化の伝統を受け継ぐ豪華絢爛さが満載。瑞鳳殿と同じく、政宗の趣向が強く反映された建築物となっています。
漆塗りの手法をぜいたくに使った明るい雰囲気が特徴。彫刻や飾り金具はカラフルな極彩色で、凝ったデザインがほどこされました。この御社殿は、仙台市内でただひとつ国宝に指定されている建築物です。
グルメ王伊達政宗が着手した食の改革
伊達政宗は、家康、秀忠、家光の3将軍を仙台藩屋敷に招待してもてなしたことがあります。そのときの懐石料理のメニューは政宗自身が考えました。食通エピソードも多数ある政宗。そこから仙台藩の地盤となる「食」の改革を実践することに。それらは宮城県の名産品として今なお受け継がれています。
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東北を小京都にするためにお茶の栽培を開始
仙台藩時代の財政を支えた生産物のひとつがお茶。そのきっかけを作ったのが伊達政宗です。もともとお茶好きであった政宗。仙台藩内でお茶の栽培を始めさせます。
政宗が目指していたのが、仙台藩を「宇治」と並ぶお茶の産地に成長させること。実際、仙台藩は江戸時代を通じて茶の産地として名をはせます。しかし、明治期以降は静岡等に押されて生産農家は少なくなりました。
最近の宮城県では仙台藩時代にさかえたお茶づくりを復興させる動きが。そうして作られたお茶が「伊達茶」です。希少なお茶として贈答用などに利用されるようになりました。
仙台味噌は城中の食事を通じて広まった?
仙台味噌は、仙台藩にゆかりがある赤味噌です。伊達政宗は仙台城下で味噌を作らせていました。その理由のひとつが城に仕える人々の食料。品質を高めながら、仙台藩直属の味噌醸造所にて大量生産されました。
江戸に仙台味噌を伝えたのが二代目藩主の伊達忠宗。江戸の仙台藩邸に住んでいる武士たちが仙台味噌を食べられるように、原料を江戸に送って味噌を作り始めます。
仙台味噌を特徴づける辛味に、江戸で好まれる甘さをくわえて改良。江戸でも仙台味噌が知られるようになりました。
仙台藩の海の幸は幕府に外貨をもたらす
江戸時代、三陸海岸の北側は南部藩、南側は仙台藩が治めるエリアとなっていました。当時から海の幸に恵まれており、とくに高級食材は輸出のための「俵物」として長崎に送られました。
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