日本史歴史江戸時代

「仙台藩」を元大学教員がわかりやすく解説!仙台藩の歴史を感じられるゆかりの場所・イベントもご紹介

よぉ、桜木建二だ。宮城県に行くと、伝統を感じさせる場所がたくさんある。そのなかには仙台藩の時代に始まったものが少なくないんだ。伊達政宗が関わっているものも多い。宮城をめぐると仙台藩の歴史に触れる機会がたくさんある。

それじゃ、現代に継承されている仙台藩の伝統について、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。宮城県にかかわる仕事が多いことから仙台の歴史に興味を持つように。宮城県に行くと、いろいろなところで「仙台藩」の話を耳にする。そこで現在の仙台に息づく「仙台藩」の歴史の記事をまとめた。

仙台藩は伊達政宗が樹立した藩

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仙台藩は仙台城を拠点とする藩。江戸時代に、岩手県南部から宮城県全域、福島県新地町あたりを治めていました。仙台藩を樹立したのが外様大名の伊達政宗。明治時代に廃藩置県が行われるまでのあいだ、伊達本家により統括されました。

伊達政宗とは?

伊達政宗は仙台藩の初代の当主。小さいころに、天然痘を患ったことから右目を失明します。そこから後に「独眼竜」という異名が浸透することになりました。

関ケ原の戦いを通じて力をつけた政宗は、徳川家康の許しを得て仙台に城と城下町の建設をはじめます。それが1601年のこと。これが仙台藩の始まりとなります。

仙台藩の勢力は関東大名を恐れさせた

伊達政宗は、戦国時代を生き延びた大名。生まれた時期が早かったら天下をとっていたかもしれないという声も。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の流れを変えていた可能性があるとも言われています。

伊達政宗は、関ヶ原の戦いでは家康のもとにつきました。しかし江戸幕府樹立以降も、彼の存在は恐れられていたようです。

家康は、河川が氾濫することと、伊達政宗が侵攻することを防ぐために利根川の工事を実行。利根川は、もともと江戸につながっていましたが、現在の千葉県銚子市の方に水路が変更されました。

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利根川の改修により栄えたのが茨城県にある水郷。水郷潮来あやめまつりで有名な場所だ。河の流れが変わったことで水の要所として栄えさそうだ。水郷では、運河とそれを渡るための橋がたくさん作られた。水郷潮来あやめ園に行くと、いまでのその名残を見ることができるぞ。

仙台藩は宮城の祭り文化を生み出した

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仙台をはじめ宮城県内では、たくさんのお祭りが開催されています。その多くは仙台藩の時代に起源が。藩に対する求心力を高めるものとして仙台藩はお祭りを重視していたようです。

仙台・青葉祭りの起源は仙台藩主催によるもの

毎年5月に宮城県仙台市で開催される青葉祭り。このお祭りの起源は1655年までさかのぼります。由来となるのが東照宮のお祭りである「東照宮御祭礼」。仙台藩の2代目の藩主である伊達忠宗によりはじめられました。

江戸時代は9月17日に開催。江戸時代を通じて神輿をかついで練り歩く神輿渡御が行われました。明治維新による仙台藩の消滅や太平洋戦争の影響で中断。1985年に仙台・青葉祭りとして復活させました。

仙台七夕祭りは伊達政宗が推奨したことから盛んに?

伊達政宗が女性の文化向上のために推奨したことから、仙台には七夕の風習が強く根づいたとされています。詳細は不明。とはいえ政宗が詠んだ七夕に関する歌が7首のこされています。

まれにあふ こよひはいかに七夕の そらさへはるる あまの川かせ(1618年)
七夕の 逢夜なからも 暁の 別はいかに 初秋の空(1629年)

これらから政宗の時代にすでに年中行事の一環として開催されていたと推測。仙台七夕祭りは政宗に起源があるとされています。

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七夕と言えば7月。仙台・青葉祭りは旧暦にあわせて8月に開催している。約3000もの竹飾りは商店街を埋め尽くす景色は圧巻だ。仙台藩の時代からある年中行事が日本一の七夕祭りを生み出したというわけだ。

\次のページで「仙台藩は温泉を楽しむために御殿湯を作った!」を解説!/

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