それじゃ、現代に継承されている仙台藩の伝統について、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 仙台藩は伊達政宗が樹立した藩
- 伊達政宗とは?
- 仙台藩の勢力は関東大名を恐れさせた
- 仙台藩は宮城の祭り文化を生み出した
- 仙台・青葉祭りの起源は仙台藩主催によるもの
- 仙台七夕祭りは伊達政宗が推奨したことから盛んに?
- 仙台藩は温泉を楽しむために御殿湯を作った!
- 仙台藩主専用の御殿湯が設置されたのが青根温泉
- 東鳴子温泉は岩出山城主も楽しんでいた
- 仙台藩はスペインとの通商を目指して慶長遣欧使節団を派遣
- 伊達政宗がサン・ファン・バウティスタ号を建造
- 幕府の禁教令により挫折
- 仙台藩の「伊達な文化」を満喫するなら寺院めぐりが欠かせない
- 瑞鳳殿は桃山文化の影響を受けた霊廟
- 大崎八幡宮は漆塗りがぜいたくにほどこされた建築物
- グルメ王伊達政宗が着手した食の改革
- 東北を小京都にするためにお茶の栽培を開始
- 仙台味噌は城中の食事を通じて広まった?
- 仙台藩の海の幸は幕府に外貨をもたらす
- 長崎俵物は外国に輸出するための商品
- 仙台藩は「ほしあわび」と「ふかひれ」を輸出
- 仙台藩は経済力を高めるためにお米を増産
- 仙台藩のお米のニーズの高まりは江戸の人口増加
- お米を効率的につみだすために治水工事を慣行
- 宮城を歩くと仙台藩時代の名残にたくさん出会える
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。宮城県にかかわる仕事が多いことから仙台の歴史に興味を持つように。宮城県に行くと、いろいろなところで「仙台藩」の話を耳にする。そこで現在の仙台に息づく「仙台藩」の歴史の記事をまとめた。
仙台藩は伊達政宗が樹立した藩
仙台藩は仙台城を拠点とする藩。江戸時代に、岩手県南部から宮城県全域、福島県新地町あたりを治めていました。仙台藩を樹立したのが外様大名の伊達政宗。明治時代に廃藩置県が行われるまでのあいだ、伊達本家により統括されました。
伊達政宗とは?
伊達政宗は仙台藩の初代の当主。小さいころに、天然痘を患ったことから右目を失明します。そこから後に「独眼竜」という異名が浸透することになりました。
関ケ原の戦いを通じて力をつけた政宗は、徳川家康の許しを得て仙台に城と城下町の建設をはじめます。それが1601年のこと。これが仙台藩の始まりとなります。
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仙台藩の勢力は関東大名を恐れさせた
伊達政宗は、戦国時代を生き延びた大名。生まれた時期が早かったら天下をとっていたかもしれないという声も。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の流れを変えていた可能性があるとも言われています。
伊達政宗は、関ヶ原の戦いでは家康のもとにつきました。しかし江戸幕府樹立以降も、彼の存在は恐れられていたようです。
家康は、河川が氾濫することと、伊達政宗が侵攻することを防ぐために利根川の工事を実行。利根川は、もともと江戸につながっていましたが、現在の千葉県銚子市の方に水路が変更されました。
仙台藩は宮城の祭り文化を生み出した
仙台をはじめ宮城県内では、たくさんのお祭りが開催されています。その多くは仙台藩の時代に起源が。藩に対する求心力を高めるものとして仙台藩はお祭りを重視していたようです。
仙台・青葉祭りの起源は仙台藩主催によるもの
毎年5月に宮城県仙台市で開催される青葉祭り。このお祭りの起源は1655年までさかのぼります。由来となるのが東照宮のお祭りである「東照宮御祭礼」。仙台藩の2代目の藩主である伊達忠宗によりはじめられました。
江戸時代は9月17日に開催。江戸時代を通じて神輿をかついで練り歩く神輿渡御が行われました。明治維新による仙台藩の消滅や太平洋戦争の影響で中断。1985年に仙台・青葉祭りとして復活させました。
仙台七夕祭りは伊達政宗が推奨したことから盛んに?
伊達政宗が女性の文化向上のために推奨したことから、仙台には七夕の風習が強く根づいたとされています。詳細は不明。とはいえ政宗が詠んだ七夕に関する歌が7首のこされています。
まれにあふ こよひはいかに七夕の そらさへはるる あまの川かせ(1618年)
七夕の 逢夜なからも 暁の 別はいかに 初秋の空(1629年)
これらから政宗の時代にすでに年中行事の一環として開催されていたと推測。仙台七夕祭りは政宗に起源があるとされています。
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