日本史

2代将軍「徳川秀忠」を歴女が解説!実直が服を着て歩いているような秀忠の生涯とは

#1 物に動じない秀忠

13歳の頃、儒学の講義を受けていた座敷に牛が乱入して騒ぎになっても、秀忠は黙って座って講義を聞き続けていたとか、大坂の陣後、弟と脳を見ている最中に地震発生したが、周囲が大騒ぎのなか、建物が崩れるほどではないので下手に動かない方がいいと判断し指示したという話など、おっとり型と言うかのんびり型というか、よく言えばものに動じないタイプのようですね。

#2 正室江にまつわる話

秀忠より6歳年上の江はお市の方の娘で、淀殿茶々の末妹ですが、大変な嫉妬深い女性だったそう。秀忠が腰元に笑顔を向けただけでヒステリーを起こして倒れたこともあるとかで、それを見た秀忠は震えあがって側室を持たないことに。後の保科正之が生まれても、対面もせず養子にやったのはひとえに江を恐れてのことらしい。

#3 秀康にまつわる話

次兄秀康が鉄砲を所持したまま江戸に向かおうとして、碓氷峠の関所で止められた時の話。秀康は自分が徳川家連枝で別格扱いであるのに、それを知らずにいた不届きな関守を成敗するといきまいたので、関守は懼れて江戸にお伺いを。が、江戸の秀忠は、兄秀康に殺されなかっただけ幸いだと言って事態は収拾。秀忠は5歳上の兄秀康には特に気を使ったようで、将軍となっても秀康が江戸へ来た際は必ず品川まで迎えに行き、籠に乗っていても自分が先に行かず秀康の籠と並ばせるなど、かなりへりくだった態度だったということです。

#4 次男忠長にまつわる話

元和4年(1618年)、秀忠は、次男の国千代が撃ち取った鴨で作られた汁物を供して最初は喜んだけれど、その鴨は兄の竹千代が居住する西丸の堀で撃ち取ったものだと知り激怒したそう。「国千代は弟の分際で、次の将軍である兄竹千代の住む西丸に鉄砲を撃ち込むとはなにごとだ」と、秀忠は箸を投げ捨ててその場を退出したということ。
秀忠は長幼の序というか後継ぎとは身分が違うことを、しっかり弟国千代に教えようとしたのですね。

父家康の仕事を完成させ次代に受け継ぐ仕事をした秀忠

だいたいにおいて偉大な父を持つと息子は、父に気に入られようと必死になって自分を見失うとか、父を見返そうとして反抗し対立するかどちらかですが、秀忠は幸いなことに偉大な父家康とは全然違うタイプ。また生まれた時期も戦乱に明け暮れていた戦国時代ではなく天下統一の後。関が原に遅れたとか大坂の陣へ向かうのに強行軍すぎて兵を疲れさせたといっても、この場合は家の存続生死勝敗に関わることがなかったので、家康に激怒された程度で済んだのは幸運だったといえるでしょう。しかし秀忠は、家康が開いた徳川幕府の仕事を継承し完成させることのできる真面目さを持っていることで選ばれた息子でした。

実直が服を着て歩いている秀忠は、必要なときに必要な時代に登場したと言えるのではないでしょうか。

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angelica