日本史

2代将軍「徳川秀忠」を歴女が解説!実直が服を着て歩いているような秀忠の生涯とは

よぉ、桜木健二だ、今回は、徳川幕府の2代将軍秀忠を取り上げるぞ。家康の息子は何人も立派な武将がいたのに、なぜこの秀忠を後継ぎに選んだのかと思うほど地味なイメージだが、かなり真面目な人だったらしいぞ。

そういうことで、子供の頃から代々の徳川将軍に興味を持って調べていたという歴女のあんじぇりかと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

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ライター/あんじぇりか

子供の頃から歴史の本や伝記ばかり読みあさり、なかでも女性史と外国人から見た日本にことのほか興味を持っているあんじぇりか。家康の息子のなかでもあまり特徴がない秀忠を、なんで家康が後継ぎに選んだのかが興味のポイント、徳川秀忠について5分でわかるようまとめた。

1、徳川秀忠は、家康の3男

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By 投稿者がファイル作成 – ブレイズマン (talk) 07:35, 18 November 2008 (UTC), パブリック・ドメイン, Link

天正7年4月7日(1579年5月2日)徳川家康の三男として遠江国浜松で誕生。幼名は長丸、母は側室の西郷局です。この母西郷局の実家は三河西郷氏といい、名門土岐氏一族で室町初期には三河守護代を務めたこともある名家、当時も三河国の有力な国人だったそう。

秀忠には同母弟に1歳下の松平忠吉。そして長兄が岡崎信康(秀忠誕生の5か月後に切腹)、次兄は結城秀康(秀吉の養子になり、その後結城家を継ぐ)。なので、秀忠は生まれたときから嫡子扱い。弟は他に松平忠輝、武田信吉。尚、後に徳川御三家となる義直、頼宜、頼房ら末弟たちは関が原後に生まれた親子ほど年が違う異母弟。姉に亀姫(奥平信昌室)と督姫(北条氏直室、後に池田輝政室)、妹に振姫(蒲生秀行室、後に浅野長晟(ながあきら)室)。

1-2、秀忠誕生の頃、父家康が朝日姫と再婚

天正14年(1586年)、秀吉はいつまでも上洛して来ない家康への講和条件として、秀吉の妹の朝日姫を家康に嫁がせることに。この時家康が、朝日姫が家康の子を産んでも嫡子とはしない、長丸を秀吉の人質としない、万一、家康が死去しても秀吉は徳川領5か国を長丸に安堵して家督を継がせる、というのを条件にしたという史料が。

でもこのとき、家康45歳、朝日姫44歳だったんですけど。

2-1、秀忠、秀吉の人質として上洛、元服と最初の結婚

天正18年(1590年)1月7日、秀忠11歳のとき、秀吉の小田原征伐勃発。そして秀吉が諸大名の妻子を人質に取るように命じた天正17年9月の「妻子人質令」を受けて初上洛。秀吉はいいと言ったのに家康から長丸を上洛させるということで、上洛後、長丸は秀吉に拝謁、織田信雄の娘で秀吉の養女小姫と祝言。このときに秀吉に拝謁した長丸は元服し、秀吉の偏諱をもらって秀忠に。そのうえに秀吉から豊臣姓を与えられました。
秀吉の養女の小姫は、その後小姫の実父織田信雄と秀吉が仲違いして信雄が除封されてあっさり離縁。小姫も翌年に7歳で病死。この祝言は正式な結婚ではなく婚約のみで、その後破談と言う説も。

秀忠は北政所寧々の恩を忘れず

秀忠は、短い間でも秀吉に可愛がってもらい、特に北政所寧々と秘書役の孝蔵主には髪の結い方や装束の着方を教えるなど実の子のように慈しまれたという、いい思い出を持っていて、その後も上洛するたびに北政所寧々に挨拶に行き交流を持ったほど。ちなみに北政所寧々が秀吉から与えられ家康に安堵された知行も、家康の死後秀忠が増やしたなど晩年まで尽くしました。

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そうか、秀忠はよほど北政所寧々に優しくされたのが嬉しかったのだな。子供の頃に可愛がってもらったのをいつまでも忘れず、将軍になっても訪ねて行ったなんて、なんていい話なんだ。

2-2、秀忠中納言になり、江と結婚

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By 不明 – The Japanese book “Sengoku Daimyō Azai-shi to Kita-Ōmi (戦国大名浅井氏と北近江)”, Nagahama Castle Historical Museum (長浜市立長浜城歴史博物館), 2008 ISBN 978-4-88325-373-9, パブリック・ドメイン, Link

秀忠は中納言になり、「江戸中納言」と呼ばれるように。そして文禄4年(1595年)9月17日に秀吉の養女で浅井長政の3女江と再婚。尚、この2か月前の7月には秀次事件が勃発し、江の姉の淀殿茶々が産んだ秀頼が秀吉の後継者と確定した時期。秀忠は 秀吉から羽柴の名字も拝領。このとき秀忠16歳、江22歳で3度目の結婚でした。
この結婚からは、千姫を頭に3代将軍家光を含む2男5女が続々と誕生。

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