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芸術家肌、無欲な軍師「竹中半兵衛」を歴女がわかりやすく解説!まるで城を攻略するのが趣味かのような竹中半兵衛の生涯とは

5-3、半兵衛の馬の好みは意外にも

 半兵衛の馬は常にあまり良い馬ではなかったということ。そこで秀吉が、半兵衛の身分にその馬は不釣り合いではないか、と言うと、名馬に乗っていれば、いざ戦いというときに、高価な名馬を他人に盗まれはしないかと惜しむ気持ちが出て、馬を下りられずに戦機を逃がすかもしれないので、馬は乗り捨てる覚悟なのがちょうどよいと言ったということです。 こういう具合で、名刀とかのコレクターの趣味もなかったんですね。

5-4、加増をあてにせず仕事をした半兵衛

秀吉が半兵衛の功績に報いるために加増の約束を書き記した書類を渡そうとしたとき、「このような物は不用。もし息子が出来がよくなかったら、父である自分への書類を当てにして、秀吉公は父には懇意だったのに自分になにもしてくれないと恨みに思うかもしれない」と言って、破り捨てたという話。
この話と同じように、黒田官兵衛が秀吉が約束した知行の加増を実行しないことが不満で、秀吉の前に秀吉の花押が入った加増の証拠の書状を持ってきて不満を述べたときも、秀吉の側にいた半兵衛がその書状を破って燃やしました。驚く官兵衛に、「こんな文書があるから不満を感じるのではないか、それは官兵衛殿のためにならない」と言ったということです。
欲がない人と言うのは、とことん欲がないものですが、秀吉や信長の側にいるかぎりはそういう無欲さが世過ぎには必要だったのでは。

5-5、出家の準備をしていた潔さ

黒田官兵衛もそうでしたが、半兵衛も調略や戦略で見方を勝利に導いたのにも関わらず、あまりに軍師としての腕が良すぎたのか秀吉に警戒されて高禄をもらうことが出来ず仕舞いでした。半兵衛は亡くなる前から、秀吉に警戒されていることを知っていたようで、その対策として高野山へ登って僧になる準備万端道具を整えてあったということです。
なかなか潔い人ですよね。

芸術家肌の軍師だった半兵衛

半兵衛は天下統一とか大大名になるなどの大きな夢を持っていたわけではなく、思うように軍勢を指揮して合戦に勝つとか、城を落とすという、言ってみればゲーム感覚で、ただただ自分の才能を発揮すれば満足という人間だったのでは。自分が総大将になりたいという欲もなく、もちろん色や酒などにおぼれるわけもない、何が楽しみだったんだろうと思うほど、若死にではあったけれど老成しているよう。戦国時代に生きたのに、涼しげな風が吹いていくような爽やかな印象を残した、忘れられない不思議な人物として記憶されるはず。

それにしても天下分け目の戦いであった関が原は、歴史に残る軍師竹中半兵衛の所領だったとは、なんとも皮肉なことではないでしょうか。

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