幕末日本史歴史江戸時代

悪人か善人か?!安政の大獄の象徴「井伊直弼」を元塾講師が分かりやすく5分でわかりやすく解説

井伊直弼の死・幕府と彦根藩のその後

井伊直弼が殺害されたことで安政の大獄は終わり、処罰されていた多くの大名らも復帰しました。しかし井伊直弼は幕府の最高職に就いており、その最高職の者が水戸藩に殺害されたこと、また安政の大獄での幕府への不信感から倒幕への動きが加速していくのです。

やがて、新政府と旧幕府による戊辰戦争が勃発して幕府は終焉を迎えるわけですが、井伊直弼が藩主を務めていた彦根藩は戊辰戦争では意外にも新政府側についています。これは、井伊直弼の死後に幕府から受けた仕打ちが倒幕の考えへと向かわせたためでしょう。

過激な手段をとったとは言え、井伊直弼は幕府のために行動して殺害されました。しかし、井伊直弼が殺害されたことはむしろ倒幕ムードを高める結果となってしまい、藩主を務めていた彦根藩を逆に幕府から遠ざける結果になってしまったのです。最も、戊辰戦争後は明治政府の行う廃藩置県によって藩が廃止されましたから、彦根藩は後になくなることになります。

井伊直弼の死・徳川慶喜のその後

徳川慶喜……すなわち一橋慶喜は将軍継嗣問題の争いで敗れた後、安政の大獄によって謹慎の処罰を受けていました。桜田門外の変で井伊直弼が殺害されたことで安政の大獄が終わると、徳川慶喜も処分が解かれて政治の世界に戻ってきます。

14代将軍の徳川家茂の死去、徳川慶喜は15代将軍となりました。しかし、当時は若い明治天皇が即位したことで倒幕ムードが加速しており、そのため徳川慶喜は大政奉還を行って政権を天皇へと返上、将軍であった期間は1年足らずとされています。

最も、徳川慶喜にとって政権返上はあくまで形式上のものであり、新政府樹立後も政治に携わろうと画策していました。このため新政府は徳川家の排除を考え、その結果王政復古の大号令を引き起こしてしまい、戊辰戦争が勃発する原因となってしまったのです。

ポイントは安政の大獄と桜田門外の変

井伊直弼で覚えるべきポイントは、やはり安政の大獄と桜田門外の変でしょう。ただ、これらを別物と考えてはならず、安政の大獄による過激な行動が桜田門外の変による殺害という結末を招いています。

また、安政の大獄と桜田門外の変においては事件の内容だけでなくそれが起こった原因にも注目してください。そうすれば、井伊直弼の一生の全体の流れがおのずと掴めますよ。

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