アメリカの歴史世界史歴史独立後

3分で簡単「レイチェル・カーソン」ー「沈黙の春」の作者の素顔に歴女が迫る!

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「セント・ニコラス」っていう子ども向け雑誌のおかげでレイチェルは文章に興味を持つようになったんだな。それにしてもこの雑誌が日本人の投稿や日本のことを取り上げていたとは驚いたな。

1-4当時のアメリカ 女性が置かれた環境

当時の女性たちについて簡単に触れておきます。この当時の女性は、まだまだ社会進出が一般的ではありませんでした。この時のアメリカでは女性の教育は高校までと考えられていました。仮に大学へ進学したとしても、それは裕福な家庭の場合が多かったのです。レイチェルの場合は成績がとても優秀だったので、両親は大学に進学させることに。しかしカーソン家は裕福ではなかったため、借金をして進学することになりました。

またレイチェルの母マリアは教師の資格を持ち、独身時代は教鞭を取っていました。しかし当時の女性教師は結婚してしまうと退職しなければなりませんでした。

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当時のアメリカはまだ女性の社会進出がされていなかったんだな。

1-5自然学習運動がブームに!

この時代のアメリカでは、自然学習運動が盛んでした。この運動は、2人の植物学者により提唱されたものです。内容は、自然を学ぶことで子どもたちに想像力や感受性を表現する力を身につけさせることができ、また自然界の生命との一体感や共感を養うというものでした。

レイチェルの母マリアはこの思想に共感し、レイチェルは自然の中で過ごしました。こうした幼少時代の経験があったからこそ、「沈黙の春」がうまれたんでしょうね。

1-6大学時代のレイチェル

1925年にレイチェルはペンシルべニア女子大学へ入学。作家になることを夢見ていました。1年生の時に短編小説「船の灯」が学内で高い評価を受けます。そして学内の文芸雑誌にこの小説が掲載されることに。

レイチェルはずっと内陸で暮らしていたので、本物の海に接した経験はありませんでした。しかし、「船の灯」では、海の描写がとても美しく正確に描かれており、審査員たちを驚かせます。このように正確に描写することができたのはレイチェルが長い間海に関する本を多く読んでいたから。

レイチェルに転機が訪れたのは2年生の時。生物学の講義を受け、生物学の魅力の虜になったレイチェル。彼女は作家になるか生物学者になるか迷います。そんな彼女に対し当時の学長らは、女性が科学を学んでもせいぜい高校の教師くらいにしかならないと諭しました。

当時のアメリカの大学では、自然科学を学ぶ女性はとても少ない状況。そして女性の能力や体力は男性よりも劣っているとみなされていた時代でした。このような時代背景で学長らは優秀なレイチェルのことを思っての発言をしました。

レイチェルはとても迷いましたが、生物学者になることに決めます。

1-7世界恐慌が起こった年に大学院に進学

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1929年にレイチェルはジョーンズ・ホプキンス大学大学院へ進学しました。この時初めて海を目にすることになりました。

大学院での生活はとても大変なものでした。ペンシルベニア女子大学では優秀な成績を収めたレイチェルでしたが、有機化学の講義についていくのに精いっぱいでした。また実験は男子学生に遅れないように懸命に作業をこなしていました。

レイチェルは当初「爬虫類の脳神経の比較」をテーマに研究していました。しかし研究は次第に遅れていきます。

原因は経済状況の悪化でした。レイチェルが入学した年にアメリカで起こった世界恐慌。これによりアメリカの地方から経済状況が悪化していきました。レイチェルの両親はスプリングデールにあった自宅を売却し、レイチェルと暮らし始めます。最終的に姉と姪2人、そして兄も一緒に暮らすことになりました。

レイチェルは家計を助けるために、大学でサマースクールをしたり、大学の助手をしたりして家計を支えました。しかしその分の時間を取るために、実験を減らしていたので、研究は遅れる一方に。これを心配した教授のアドバイスでテーマを変更し、1932年の論文の審査に無事通りました。そして無事に卒業へ。

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