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3分で簡単「レイチェル・カーソン」ー「沈黙の春」の作者の素顔に歴女が迫る!

よぉ、桜木建二だ。今回は「沈黙の春」を書いた作者として有名な「レイチェル・カーソン」について見ていくぞ。レイチェル・カーソンはアメリカの生物学者で、彼女の著作は今でも多くの人に読まれている作家だ。

今回は世界史に詳しいライターまぁこと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史が好きなアラサー女子。ヨーロッパの絵画も好きで、関連した歴史の本を読み漁っている。今回はまぁこがレイチェル・カーソンについて紹介していく。

レイチェル・カーソンの生い立ち

レイチェル・カーソン「沈黙の春」を知っていますか?これらの名前だけを聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。レイチェル・カーソンはアメリカの生物学者で、「沈黙の春」という本を書いた人物です。

そこで今回はレイチェル・カーソンの生い立ちや有名な著書である「沈黙の春」の内容について詳しく取り上げていきたいと思います。

1-1幼い頃の遊び相手は自然!

image by iStockphoto

レイチェルは、1907年の5月27日にアメリカのペンシルベニア州に生まれました。レイチェルの祖父母はアイルランドからの移民でした。

レイチェルには、9歳年上の姉アリアンと7歳年上の兄ロバートがいました。しかし彼女が物心つく頃には2人とも学校に通っていたので、彼女の遊び相手は野鳥や草花などの自然でした。レイチェルの母は、かつて教師(当時の女性としては珍しい)をしていたため、レイチェルに生態系について分かりやすく教えていました。

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生物学者としてのレイチェル・カーソンは、この時の体験が原点となったんだな。

1-2小学校時代はおとなしい少女

地元の小学校に通っていたレイチェル。彼女はどんな小学校時代を過ごしたのでしょうか。

レイチェルは体が弱く、おとなしい性格でした。そのためよく学校を休むことも。家では読書や、母と森を散歩して過ごしていたレイチェル。

そんな彼女の成績はいつもトップクラスでした。小学校を卒業(十年制でした)した後は、高校へと進学。地元には高校がなかったため、隣町にある高校に通います。

1925年にレイチェルはトップで高校を卒業しました。在学中はバスケットボールなどのスポーツをしていたレイチェル。ここからおとなしいだけではなく、活発な一面が見られますね。

1-3 文学少女だったレイチェル

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レイチェルは幼少期に雑誌「セント・ニコラス」の愛読者でした。「セント・ニコラス」とは、子ども向けの雑誌で、「小公女」や「トム・ソーヤの冒険」などの名作が載っていました。

ちなみに「セント・ニコラス」はアメリカの子どもだけでなく、世界中の子どもたちに読まれていました。有名な愛読者の中には「ピーター・ラビット物語」の作者、ビアトリクス・ポーターも。なんと日本人の投稿や、日本のことが書かれた作品も掲載されていました。

この雑誌の中でレイチェルを夢中にさせたのは、「セント・ニコラスリーグ」と呼ばれた作文コンテストでした。このコンテストでレイチェルは「雲の中の戦い」という作品で応募して会員権を得ます。その後は1年に4作品も雑誌に掲載され、ついに彼女は名誉会員となりました。

\次のページで「1-4当時のアメリカ 女性が置かれた環境」を解説!/

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