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【三国志】武勇に優れ忠義心に富み、武神とまで謳われた「関羽」!その一生を中国史マニアがわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今日は、蜀の国の大将劉備を義兄と慕う「関羽」について、勉強していこう。劉備と義兄弟の契りを結んだとして有名な『桃園の誓い』から、武神と謳われるほどになった数々の武功、宿敵曹操との関係。そして関羽の最後の時などをわかりやすくまとめておいた。

年間100冊以上を読む読書家で、中国史マニアのライターKanaと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/Kana

年間100冊以上を読破する読書家。現在はコーチ業に就いており、わかりやすい説明が得意。中国史マニアでもあり、今回は「関羽」について、わかりやすくまとめた。

関羽の生まれから、義兄弟「劉備」と「張飛」との出会い

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By 历史研究(网络原因Addis代上传) – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

 「関羽」(かんう)、字は「雲長」(うんちょう)といいます。生年は不詳であり、場所は『司隷』(しれい)『河東郡』(かとうぐん)というところです。

 「劉備」(りゅうび)・『張飛』(ちょうひ)と関羽とは生まれた場所が全く違います。諸説あるのですが、関羽は『幽州』(ゆうしゅう)『涿郡』(たくぐん)に逃れてきたのではないかといわれているのです。そこで『黄巾の乱』の義勇兵を募っていた劉備と張飛と出会い、張飛と共に劉備の護衛を務めます。

 劉備は、関羽・張飛に兄弟のように接し、張飛は関羽が年上であったことから兄のように従ったそうです。しかし、両人とも大勢の前ではあくまで劉備を主君として立てました。

 余談なのですが、三国志ファンの中では有名な『桃園の誓い』ですが、これはフィクションであり史実では記載がありません。

『黄巾の乱』『反董卓連合軍』での活躍

 三国志最大の反乱であった『黄巾の乱』や、都『洛陽』(らくよう)で悪政を敷いた「董卓」(とうたく)を討伐するための『反董卓連合軍』でも、関羽は活躍したそうです。

 『三国志正史』では、詳しい記載があるものがないのですが、「劉備軍の活躍により」などの文があることから、おそらく関羽も武勲をあげたのでしょう。

 『三国志演義』では、武勇に優れた「呂布」(りょふ)との戦いを大きく取り上げており、武に優れた武将であったという描写がなされています。

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関羽の劉備や張飛との出会いがわかったな。関羽が幽州に逃れてきた原因だが、一説によると殺人を犯してしまった、というものもあるようだ。

\次のページで「曹操の元での活躍」を解説!/

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