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ライター/Kana
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中国史マニアであり、今回は「馬超」について、わかりやすくまとめた。
馬超の生まれは漢の名門『馬氏』
By 不明 – http://members.shaw.ca/jiuwan4/MaChao.jpg, パブリック・ドメイン, Link
「馬超」(ばちょう)、字は「孟起」(もうき)といいます。176年に生まれ、場所は『司隷』(しれい)『扶風郡』(ふふうぐん)というところです。三国志を少し勉強している方は、ここでおっと思ったかもしれませんが、この三国時代の武将で生まれの年が正確に伝わっている人物というのは実は多くありません。
それの理由としては、馬超が名門の生まれというところでしょう。先祖は『漢』(かん)の「光武帝」(こうぶてい)の部下であり、名将として知られていた「馬援」(ばえん)の血を引いているのです。皇帝の側に仕えていた人物ということですので、馬超の先祖がいかに高い地位にいたかがわかりますね。
しかし、馬超の祖父「馬平」(ばへい)は天水群で大尉の任についていましたが、ある時官職を失ってしまいます。原因は諸説ありますが、何かしらのミスを犯した、何かしらの事件に巻き込まれた、などがあるようです。その後、馬平は涼州から離れ、『羌族』(きょうぞく)が住む村へと移住することになりました。そこで出会った村の娘と結婚、生まれた男子が馬超の父「馬騰」(ばとう)なのです。
馬超の父「馬騰」は名将となり、中央に大きな影響力を持つ
羌族の村に生まれた馬騰は、家が貧しかったため材木を切り倒し都市で売り、生計を立てていました。成人した後は、190cmほどもある身長に温厚な性格で周囲の人間から尊敬を集めていたそうです。ある時、涼州で反乱が起き、馬騰もその鎮圧軍に参加します。そこで馬騰を見た役人たちが、彼は只者ではないと一軍を与えるのです。役人たちの目論見通り、馬沸は功績をあげ将軍の属官に任命されました。
その後中央では様々な動きがあり、涼州での活躍を認められていた馬騰は、将軍に任じられるほどになったのです。このことから馬騰は実質的に、涼州の支配者だと中央には知られることになりました。
都『洛陽』(らくよう)で悪政を敷いていた「董卓」(とうたく)も、反董卓連合軍として集結した諸将も、董卓亡き後の洛陽を支配していた「李傕」(りかく)や「郭汜」(かくし)も、馬騰はどう出るのか、敵か味方か、常にその動向に目を光らされていた武将だったのです。
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後に浅からぬ関係となる、武将「韓遂」との出会い
ここで武将「韓遂」(かんすい)について、説明しましょう。韓遂とは、後に馬超と大規模な反乱を起こすこととなる武将なのです。馬超の父・馬騰とは同時期に将軍に任命されており、涼州にいた時には義兄弟の契りを結ぶほどの親密さだったといいます。
しかし、その後は涼州を巡って対立し、互いに殺し合うほどになってしまいました。その際には、韓遂が馬騰の妻子を殺害したため、対立は一層激しいものとなってしまったのです。
この時行われた戦には馬超も出陣しており、一騎打ちを行っています。三国志正史では、数回しか描かれていない貴重な一騎打ちの一つ、それは韓遂軍の「閻行」(えんこう)という武将です。しかし折れた矛で首を殴られ、敗走してしまったという結末でした。
この時期、曹操は「袁紹」(えんしょう)との大きな戦を控えていました。そのため、この涼州で大きな戦が起こり、その結果で強大な勢力が出来ることを危惧したのでしょう、使者を派遣し両者の仲を取り持ち、韓遂・馬騰は曹操の元に子を人質として出すことになりました。そして、両者は和解したのです。
211年3月『潼関の戦い』曹操の動きに危機を感じた馬超
211年の3月、曹操は『漢中』(かんちゅう)の「張魯」(ちょうろ)討伐に乗り出します。曹操のこの動きを見て、漢中の通り道である涼州で将軍となっていた馬超は、自分達が攻められるのではないかと疑心暗鬼になったのです。
すると、馬超は韓遂に対して反乱を持ち掛けます。しかし、韓遂は曹操に対して我が子を人質として出しているのです。決して即決はしません。そんな韓遂を見た馬超は「自分は父を捨て貴方を父とします、貴方もまた自分の事を子と思って欲しい」と伝えます。
こうして、馬超・韓遂は曹操と敵対し、諸侯に呼びかけました。すると、両者に呼応する者が相次ぎ、その軍勢は10万人にもなったそうです。馬超はこの軍勢を率い、黄河の『潼水』の地に布陣したのですが、曹操は「曹仁」(そうじん)に潼関を防がせたのでした。
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