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「アンネ フランク」の生きた15年!時代の犠牲となった少女を『アンネの日記』を愛するライターが解説

アンネの日記とは

『アンネの日記』は、アンネが隠れ家での生活を描写した日記を戦後にオットーが編集して出版した文学作品です。

アンネは1942年、13歳の誕生日のプレゼントとしてサイン帳をもらいました。これが後の『アンネの日記』の元となる日記帳の一冊目となったのです。アンネは日記にキティという名前を付け、キティに語りかける形で日記を書き始めました。日記が記されているのは、誕生日当日の1942年6月12日から連行される直前の1944年8月1日まで約2年間のことです。いずれは出版したいという思いがあり、アンネは隠れ家での生活中に日記の一部を清書していました。

日記を保管していたミープはアンネが亡くなったことを知り、オットーに遺品として日記を渡します。オットーは初め、これを親しい人に読んでもらうために編集しました。その後、生前のアンネの希望を叶えるために奔走。オランダでの本格的な出版にこぎつけました。

『アンネの日記』は現在、世界各国で翻訳され出版されています。厳しい暮らしの中でも希望とユーモアを忘れないアンネは、戦争の犠牲となった多くのユダヤ人のシンボルとして世界中の人々から愛されるようになりました。

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家族を失ったと知って、父親のオットーはきっと絶望を味わっただろう。それでも、日記に書かれたアンネの思いを人々に届けることを心の支えにして生きたのかもしれないな。

アンネの死後

image by PIXTA / 64108

隠れ家の密告者は誰だったのか

アンネたちの隠れ家は、誰かからの密告により捜査されたと言われています。アンネの日記が有名になるにつれ、密告者は誰だったのかということに高い関心が寄せられるようになりました。

隠れ家の手前の家の会社で働いていた倉庫係が怪しいとして戦後に取り調べを受けていますが、その後十分な証拠がないとして取り下げられています。他にもオットーの商売相手だった人物が密告したのではないかなど様々な説が唱えられました。また、偶然発見されたのではないかと考える人もいます。

しかし正確なことは今もわかっておらず、隠れ家の関係者が全員この世を去った今となっては、真相は永遠に謎のままかもしれません。

アンネの国籍は

アンネはドイツで生まれましたが、ナチスから逃げるためアムステルダムに移住した際にドイツ国籍を喪失。その後、記録の上では無国籍となっています。

生涯のほとんどをアムステルダムで暮らしたアンネに、オランダ国籍を与えようという運動が起きたこともありました。しかし、オランダ法務省は死後に国籍を付与することはできないと判断。正式にオランダ人となることは叶いませんでしたが、今でもオランダの著名な人物としてアンネ・フランクは広く親しまれているのです。

アンネの暮らした隠れ家は「アンネ・フランクの家」としてアムステルダムにそのまま保存され、世界中から多くの人が訪れています。

アンネ・フランクは希望を失わず平和を願い続けた

『アンネの日記』の作者であるアンネ・フランクは、ユダヤ人迫害の犠牲となった人々のシンボルとして世界中でその名を知られています。戦争を憎み、もし生き延びることができたら世界と人類のためになることをしたいと希望していました。けれど戦争から逃れることはできず、たった15年の短すぎる人生を終えたのです。もし生まれた時代が違ったら、お喋りで活発などこにでもいる少女として幸せに暮らしていたことでしょう。

第二次世界大戦中にユダヤ人迫害の犠牲となったのは、もちろんアンネ一人ではありません。あまりにも多くの人々が、理不尽にその命を奪われました。私たちは歴史を知り過去から学ぶことで、平和な世界を築く努力をしなければいけません。同じ歴史を繰り返さず、アンネの思いを守っていきたいですね。

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amala18