紫式部の「源氏物語」と言えば主人公の光源氏。絶世の美男子として現代でも大人気の人物です。平安時代に知られていた歴史的人物をモデルをに光源氏のキャラクターがつくられたと言われている。総勢、なんと11人。

それじゃ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に、光源氏のモデルとなった11人について解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。「源氏物語」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「源氏物語」は、平安時代のリアルな雰囲気が読み取れる面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて主人公・光源氏の記事をまとめた。

「源氏物語」とは?主人公の光源氏の位置づけは?

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「源氏物語」とは、平安時代の中期に紫式部により書かれた長編物語小説。主人公である光源氏の出生や、数多くの女性たちとの恋愛模様を描き出しました。現在でも、漫画化されたりドラマ化されたりしていることから高い知名度を誇っている小説です。

「源氏物語」は平安時代中期に書かれた長編物語小説

「源氏物語」は、紫式部が中宮彰子のもとに仕えていたころに執筆されました。彰子の父は藤原道長。摂関家による政治を興隆させたことでも知られる人物です。

主人公である光源氏は天皇の血をひく身分。藤原摂関家の支援を受けているにも関わらず、源氏の系統が主役とされます。この設定は、いろいろな憶測を呼ぶことになりました。

有力な理由となるのが、天皇の直接支配の時代を懐かしむ貴族たちが一定数いたこと。紫式部の家もかつては天皇に仕える立場でした。藤原道長は、そうした貴族の想いをある程度は許容していたと考えられます。

主人公の光源氏は平安時代の絶世の美男子

「源氏物語」の主人公は光源氏。これは正式の名前ではなく「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称です。桐壺帝の第2皇子として生まれた、いわば天皇の血筋をひく人物とされました。

父である桐壺帝は光源氏を皇太子とすることを考えます。しかし、早くに亡くなった実母の身分が低かったことから叶わず。さらに光源氏が帝位につくと国が乱れると予言されたことから臣籍降下され、源氏の姓を与えられました。

光源氏は、さまざまな女性と浮名を流しますが、いつも心に想うのは早くに亡くなった実母の桐壷。光源氏がもっとも愛したとされる紫の上は実母の面影を残す女性でした。彼女が亡くなったあとに出家。その後、光源氏も死去したことが示唆されます。

光源氏の色男ぶりを構成するのは3人の平安貴族

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光源氏はいわゆる色男。見た目も輝くほどの美しさ。漢学や和歌にすぐれており、さらには管楽や琴の才能も有していました。騎射も群を抜いているなど武道の素質も。平安時代に求められたあらゆる才能を持つ、非の打ちどころのない貴族として描かれました。

「伊勢物語」の主人公である在原業平

在原業平は平城天皇の孫で、「伊勢物語」の主人公としても有名な人物です。すぐれた歌を詠む六歌仙のひとりでもありました。「伊勢物語」によると、在原業平の恋人であった藤原高子は清和天皇の妻となります。その悲しみをまぎらわすため、関東に下りました。

関東に下ったあと、業平はあらゆる女性にアプローチします。人妻、老女、天皇の妃。さらには、伊勢神宮に仕えている皇女とも関係を持つことに。当時の階級や立場は無関係に、あらゆる女性と交わる業平は、光源氏の女性関係と大いに重なり合います。

後醍醐天皇の皇子である村上天皇

村上天皇は、醍醐天皇の皇子であり朱雀天皇の弟。父である醍醐天皇と共に、摂関家ではなく自ら政治をつかさどった人物です。そのため藤原摂関家の支配をよく思わない人は、醍醐天皇と村上天皇の時代を懐かしむ傾向がありました。

醍醐天皇と同じく村上天皇は、たくさんの女御や更衣をかかえていました。女御とは寝室に入ることを許された女性。中宮の次の位になります。更衣は女御の下の位の女性。同じく寝室に入ることができます。女御・更衣が生んだ子供は皇族を離れることがしきたりでした。

「源氏物語」に登場する六条御息所のモデルは、村上天皇の女御・更級のひとりです。光源氏自身も、按察大納言の娘である桐壺更衣と桐壺帝とのあいだに生まれたという設定。当時の天皇と女性たちの関係性がリアルに描かれていることが分かります。

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女性問題により左遷された藤原伊周

藤原伊周は、藤原道長の兄である道隆の子供です。伊周は、非常に美しい容姿をもち学問にもすぐれていましたが、女性問題により失脚。道長の手により、播磨や大宰府に左遷させる運命に(のちに大臣に準じる地位が回復されます)。

藤原伊周の美貌ぶりは清少納言が「枕草子」のなかでも触れているほど。「大納言殿参り給ひて」という章段にて、伊周に夢中になる女房たちの様子が詳細に描写されています。

志半ばの失脚も光源氏のイメージを作る

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父である桐壷帝は、光源氏の母である更衣を寵愛。その忘れ形見である光源氏を皇太子にすることを願いしました。しかし、母はすでに亡くなり後ろ盾もありません。将来を案じた桐壷帝は、光源氏をあえて臣籍降下させたという経緯があります。

菅原道真が詠んだ歌の一節を口ずさむ

菅原道真は、遣唐使の廃止を進言したことでも知られる学者。学者としては珍しく大臣の地位までのぼりつめました。しかし、それを快く思わない藤原氏の陰謀により失脚。道真は大宰府に左遷され、その地で亡くなりました。

「源氏物語」のなかに藤原道真の歌が登場。「須磨」の巻のなかに、光源氏が道真の歌の一節を詠む場面があります。そこから、大宰府に左遷される道真と、女性問題の影響で須磨に退去する光源氏を重ね合わせていると考えられました。

藤原氏に締め出された源高明

醍醐天皇の皇子のひとりが源高明。光源氏のモデルのひとりとされる村上天皇とは異母兄弟となります。母が更衣であることから、源高明は7歳で臣籍降下。源の姓をもらいます。

しかし源高明は学問にすぐれており、頭角をあらわすように。冷泉天皇の時代には左大臣にまでのぼりつめます。しかし、藤原氏の陰謀により失脚して大宰府に左遷。その後、ゆるされるものの政治の世界に戻ることはできませんでした。

天皇候補から外れた歴史的人物も光源氏に投影

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光源氏は、父親が桐壷天皇。つまり天皇候補のひとりではありました。平安時代、天皇候補とされながらそこから外れた人物も多数。そのなかで源融と敦康親王は光源氏のモデルになったと考えられています。

\次のページで「源融の住居は「源氏物語」の重要なモチーフ」を解説!/

源融の住居は「源氏物語」の重要なモチーフ

源融は嵯峨天皇の皇子であり、一時は天皇の候補にもなりました。しかし、藤原氏の妨害にあい、源氏の姓をもらって臣籍降下となります。天皇候補からは外れるものの、左大臣として力を発揮しました。

源融が作った邸宅である河原院は、夕顔が変死した「なにがしの院」や、光源氏が中年以降に住んだ「六条院」のモデルとされています。

心身共に美しいと言われた敦康親王

敦康親王は一条天皇の皇子。外祖父は藤原道長の兄である道隆です。道隆が亡くなると、父である藤原伊周が失脚。母親である定子もなくなり、後ろ盾がなくなります。第一皇子だったにも関わらず、皇太子になることが叶わなかったのが敦康親王でした。

「栄花物語」によると、敦康親王はたいそうな美貌の持ち主。そのため平安時代の人々は、彼の境遇を惜しんだそうです。別の言い方をすれば敦康親王は世間レベルでは大人気。不運の美男子は、平安時代に好まれた物語上の男性像のひとつでした。

 

政治的権力者のイメージも光源氏のキャラクター欠かせない

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光源氏は天皇候補からはずれた失脚者のイメージが強いものの、時の権力者の姿が投影されている一面もあります。権力者は、ねたまれると同時に尊敬される部分も。そこから、部分的ではありますが光源氏に投影されました。

紫式部の漢学の知識から周公旦がモデルに

周公旦は、中国の周の時代(紀元前1100年~紀元前256年)の政治家。兄である武王とともに殷王朝を滅ぼして、制度や儀式を定めるなど、その地の政治にかかわります。

兄である武王が亡くなると、快く思わないものがうその告げ口をしたことから失脚。国を出ることになります。その後、無実がはらされ復帰。武王の子である成王の政治を助けました。

紫式部が仕えた彰子の父・藤原道長

藤原道長は、紫式部が仕えた中宮彰子の父親。平安時代の中期、摂関政治をもっとも興隆させた人物として知られています。兄である道隆と道兼が亡くなったあと、内覧、氏長者、右大臣として君臨することになりました。

中世に作られた系図集である「尊卑文脈」のなかで、紫式部は藤原道長の愛人的位置づけだったとされています。真意は定かではありませんが、紫式部の執筆活動のパトロンであったことは確か。そのため、道長のイメージが光源氏に部分的に投影されていることはありえます。

皇子のイメージにより光源氏は高貴さを増した

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皇子という立場は若き将来の天皇候補。平安時代の女性たちの憧れの対象でもありました。光源氏は、皇子になる権利はあったものの、不幸なことに叶いませんでした。とはいえ、実際の歴史的人物と重ね合わせられ、皇子のイメージが付与されました。

\次のページで「「玉光る宮」と呼ばれた敦慶親王」を解説!/

「玉光る宮」と呼ばれた敦慶親王

宇多天皇の皇子かつ醍醐天皇の弟であるのが敦慶親王。「玉光る皇子」と呼ばれるほどの美貌の持ち主でした。女性関係もさかんで、異母妹である女性と親密な関係にあったいう記録も残っています。

さらに父親である宇多天皇が寵愛していた歌人である伊勢とも深い中に。2人のあいだに生まれた娘は、のちに歌人として名をのこす中務。敦慶親王のセンセーショナルな恋愛関係は、光源氏のそれと共通するものです。

具平親王の変死した愛人は夕顔のモデル?

具平親王は村上天皇の皇子。紫式部の東遠にもあたる文化人です。具平親王の娘婿となったのが道長の長男である頼道。具平親王の息子が、道長の娘婿となるパターンも。

藤原摂関家とかなり濃密な関係にあった具平親王。愛人も多く抱えており、そのひとりである大顔が変死するという事件が。「源氏物語」に登場する夕顔もまた、もののけに取りつかれて変死するというつながりがあります。

光源氏は歴史的人物のエッセンスがつまっている

光源氏のモデルは、だれか1人の人物というわけではなく、歴史的人物のいろいろな側面が組み合わさってできたもの。当時の平安貴族たちは、「この人のことかな」と想像しながら「源氏物語」を読んでいました。光源氏の物語は、当時としてはスキャンダラスな話題のオンパレード。主人公に有名人の要素をとり入れることで、ワイドショー的な楽しみ方を加えていきました。歴史的な知識と一緒に「源氏物語」を読むと、当時の貴族たちがどのような楽しみ方をしたのか、その一端に触れることができると思います。

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平安時代日本史歴史

「光源氏」を元大学教員がわかりやすく解説。モデルとなった11人は誰?ワイドショー的なネタも満載?歴史的背景もこれで丸わかり!

紫式部の「源氏物語」と言えば主人公の光源氏。絶世の美男子として現代でも大人気の人物です。平安時代に知られていた歴史的人物をモデルをに光源氏のキャラクターがつくられたと言われている。総勢、なんと11人。

それじゃ、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に、光源氏のモデルとなった11人について解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。「源氏物語」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「源氏物語」は、平安時代のリアルな雰囲気が読み取れる面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて主人公・光源氏の記事をまとめた。

「源氏物語」とは?主人公の光源氏の位置づけは?

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「源氏物語」とは、平安時代の中期に紫式部により書かれた長編物語小説。主人公である光源氏の出生や、数多くの女性たちとの恋愛模様を描き出しました。現在でも、漫画化されたりドラマ化されたりしていることから高い知名度を誇っている小説です。

「源氏物語」は平安時代中期に書かれた長編物語小説

「源氏物語」は、紫式部が中宮彰子のもとに仕えていたころに執筆されました。彰子の父は藤原道長。摂関家による政治を興隆させたことでも知られる人物です。

主人公である光源氏は天皇の血をひく身分。藤原摂関家の支援を受けているにも関わらず、源氏の系統が主役とされます。この設定は、いろいろな憶測を呼ぶことになりました。

有力な理由となるのが、天皇の直接支配の時代を懐かしむ貴族たちが一定数いたこと。紫式部の家もかつては天皇に仕える立場でした。藤原道長は、そうした貴族の想いをある程度は許容していたと考えられます。

主人公の光源氏は平安時代の絶世の美男子

「源氏物語」の主人公は光源氏。これは正式の名前ではなく「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称です。桐壺帝の第2皇子として生まれた、いわば天皇の血筋をひく人物とされました。

父である桐壺帝は光源氏を皇太子とすることを考えます。しかし、早くに亡くなった実母の身分が低かったことから叶わず。さらに光源氏が帝位につくと国が乱れると予言されたことから臣籍降下され、源氏の姓を与えられました。

光源氏は、さまざまな女性と浮名を流しますが、いつも心に想うのは早くに亡くなった実母の桐壷。光源氏がもっとも愛したとされる紫の上は実母の面影を残す女性でした。彼女が亡くなったあとに出家。その後、光源氏も死去したことが示唆されます。

光源氏の色男ぶりを構成するのは3人の平安貴族

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光源氏はいわゆる色男。見た目も輝くほどの美しさ。漢学や和歌にすぐれており、さらには管楽や琴の才能も有していました。騎射も群を抜いているなど武道の素質も。平安時代に求められたあらゆる才能を持つ、非の打ちどころのない貴族として描かれました。

「伊勢物語」の主人公である在原業平

在原業平は平城天皇の孫で、「伊勢物語」の主人公としても有名な人物です。すぐれた歌を詠む六歌仙のひとりでもありました。「伊勢物語」によると、在原業平の恋人であった藤原高子は清和天皇の妻となります。その悲しみをまぎらわすため、関東に下りました。

関東に下ったあと、業平はあらゆる女性にアプローチします。人妻、老女、天皇の妃。さらには、伊勢神宮に仕えている皇女とも関係を持つことに。当時の階級や立場は無関係に、あらゆる女性と交わる業平は、光源氏の女性関係と大いに重なり合います。

後醍醐天皇の皇子である村上天皇

村上天皇は、醍醐天皇の皇子であり朱雀天皇の弟。父である醍醐天皇と共に、摂関家ではなく自ら政治をつかさどった人物です。そのため藤原摂関家の支配をよく思わない人は、醍醐天皇と村上天皇の時代を懐かしむ傾向がありました。

醍醐天皇と同じく村上天皇は、たくさんの女御や更衣をかかえていました。女御とは寝室に入ることを許された女性。中宮の次の位になります。更衣は女御の下の位の女性。同じく寝室に入ることができます。女御・更衣が生んだ子供は皇族を離れることがしきたりでした。

「源氏物語」に登場する六条御息所のモデルは、村上天皇の女御・更級のひとりです。光源氏自身も、按察大納言の娘である桐壺更衣と桐壺帝とのあいだに生まれたという設定。当時の天皇と女性たちの関係性がリアルに描かれていることが分かります。

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