箱館戦争、そして戊辰戦争の終結
宮古湾海戦に勝利した新政府軍は青森に上陸、旧幕府軍もこれを阻止しようと反撃しますが撃退されてしまいます。いよいよ新政府軍は箱館に向けて進行、箱館を攻撃する態勢が整っていきました。そして、新政府軍による総攻撃が始まったのです。
追いつめられる旧幕府軍は応戦するも撤退を続け、五稜郭まで追い詰められました。やがて箱館の市街は新政府軍によって完全に制圧され、新選組の土方歳三もここで銃撃されて戦死します。榎本武揚は降伏勧告に否定を続けますが、旧幕府軍首脳側は相談の末に降伏を決定、五稜郭も開城することになったのです。
こうして箱館戦争……すなわち戊辰戦争は終結し、榎本武揚含む旧幕府軍の幹部らは出頭、東京辰の口の軍務官糾問所の牢獄に投獄されました。しかし黒田清隆らが助命運動を行ってことで明治5年である1872年に赦免(罪や過ちを許すこと)されたようです。1868年に勃発した戊辰戦争は、日本全土を巻き込んだ末1869年にようやく終わりました。
新時代の始まりと西南戦争へ
戊辰戦争によって幕府の時代は終わり、新政府……つまり明治政府による新時代が訪れます。明治政府は版籍奉還や廃藩置県など新たな政治政策を次々と打ち出していきますが、それらは戊辰戦争で明治政府に貢献した士族にとって不満となるものでした。
その結果、やがては薩摩藩の士族と明治政府が衝突、日本史上最後の内戦となる西南戦争が起こります。薩摩藩は戊辰戦争で明治政府側として戦っていましたが、その薩摩藩が今度は明治政府と戦うことになるのです。
戊辰戦争の江戸城無血開城にて活躍した西郷隆盛も薩摩藩側となって明治政府と対立、西郷隆盛はこの西南戦争で命を落とします。そして日本の歴史における内戦はこれで終わるものの、その後は海外の国を相手にした戦争が起こっていくのです。
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戊辰戦争を一つの物語として捉えよう
「鳥羽・伏見の戦いとは何か?」、「江戸城無血開城とは何か?」……戊辰戦争の場合、こうやってそれぞれ単体で覚えようとするとなかなか大変です。
それよりも、まず戊辰戦争全体の流れを一つのストーリーとして覚えましょう。その方が頭に入りやすく、また興味も出て覚えるのが苦にならないですよ。