今回は大化の改新について、歴史オタクなライターkeiと一緒に考えていきます。
- 元号に込められた思い
- 最初の元号である「大化」
- 大化の日本は、有力者の連合政権だった
- 孝徳天皇は最初の天皇?
- この当時の組織・仕組みは?
- まだまだ力の弱かった大和朝廷
- 大化の東アジアは、分裂が収まり、強力な大帝国が出現していた
- 統一帝国 隋の内政
- 統一帝国 隋の外征
- 師が伝えた隋の脅威
- 大化の改新に至るまで 聖徳太子による改革の試み
- 聖徳太子の事績と理想 和の精神
- 権臣・蘇我氏の台頭と専横
- ヤマト朝廷の有力な3つの氏族
- 有力なライバル 物部氏を滅ぼす
- 朝廷を牛耳る
- 驕れる者は
- 蘇我氏の排除 乙巳の変
- 権力の空白が生んだチャンス
- 改新の詔
- 大化の改新 律令国家の成立
- ヤマト朝廷から日本国へ
この記事の目次
ライター/kei
10歳で歴史の面白さに目覚めて以来、高校は文系、大学受験では歴史を選択し、大人になっても暇があれば歴史ネタを調べ歴史ゲームにのめり込む軽度の歴史オタク。洋の東西問わず、中でも中国史と日本史が好き。今回は日本史の一大イベントである大化の改新をわかりやすくまとめた。
元号に込められた思い
西暦2019年5月。平成31年5月改め、令和元年5月。この月から始まった日本の新しい時代である「令和」。日本の古典である万葉集の一節から採られた元号は、英訳で「Beautiful Harmony(美しい調和)」を意味しています。安倍首相の談話では、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意図を込めた言葉、ということ。世界有数の経済・文化大国として成熟した日本が、さらに発展することを祈って名付けられたものと思います。
最初の元号である「大化」
日本の最初の元号は「大化」です。西暦645年から650年の間、孝徳天皇(軽皇子)の時代でした。「大化」の出典は、中国の古典である書経の一節「肆にわれ大いにわが友邦の君を化誘す」から採られたものと考えられ、「私は大いにわが友邦諸国の君主たちを教え導くのである」という意味とされています。その思いは何だったのでしょうか。
大化の日本は、有力者の連合政権だった
まずは当時のヤマト朝廷がどんなものだったのか、見てみましょう。
孝徳天皇は最初の天皇?
大化は最初の元号ではありますが、孝徳天皇は最初の天皇ではありません。日本の初代天皇とされる神武天皇から数えて、孝徳天皇は36代目の天皇となります。初代天皇である神武天皇が創始したとされるヤマト朝廷は、天皇家を元首である大王(オオキミ)として推戴しつつも、各地の有力者である豪族の独自性が強固に保たれた緩やかな連合政府でした。
この当時の組織・仕組みは?
各地の豪族は氏(ウジ)という同族集団を形成し、ヤマト朝廷内での序列を表す姓(カバネ)を官職として与えられていました。姓は上位から、臣・連・伴造・国造・県主、などが定められていました。しかし、官職を与えられていたからと言って豪族が大王の下に素直に従属する官僚であったかというとそうではなく、土地や民衆の支配権、財産も大王とは別に独立していました。例えば、人々については言えば、大王直属の人々(多くは技能民でしたが)は品部(シナベ)、豪族の人々・私有民は民部(カキベ)と分けられていました。
まだまだ力の弱かった大和朝廷
大王が宮殿を構えていた奈良や大阪周辺の近畿地方以外、日本各地の統治については、現地の有力者である豪族に姓である国造や県主などの官職を与え、支配権を追認するというものに過ぎませんでした。その地方の政治や行政はそれぞれの豪族に任されていたので、ヤマト朝廷の領域全体で統一された軍隊はおろか、警察のような治安組織・納税制度もなく、現代では当たり前となっている役所などの行政組織もない、という状態でした。例えば、他人の物を盗んだなどの犯罪が行われた際の処罰も、現代のように刑法や刑事訴訟法などの根拠法典が無い状態であるので、各地の集落の慣習(不文律)に依存していたのではないでしょうか。
領域・人民・主権の3つを主権者が完全に把握することが国家の成立要素とされます。しかし、この時代の日本の政治勢力であるヤマト朝廷は、いずれの点でも中途半端な状態でした。大王の支配権は、自らの直轄領や直属の民を除いて豪族を介してのものであり、限定されていました。
大化の東アジアは、分裂が収まり、強力な大帝国が出現していた
By トムル – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
一方で、日本列島を取り巻く国際情勢は大きく変化していました。西暦316年に漢民族の統一王朝であった西晋が滅んで以来、南北に分裂状態にあった中国大陸では、西暦589年に北朝の隋が南朝の陳を滅ぼしておよそ300年ぶりに再統一。隋の政策を、内政と外征の両面から見ていきましょう。
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