平安時代日本史歴史

平安時代の名君「後三条天皇」を歴史オタクが5分でわかりやすく解説!背景と事績を考えてみる

平安時代の日本において、天皇中心の律令国家体制の綻びを立て直し、有力貴族・藤原氏による朝廷の権力掌握の流れを断ち切ることに成功したのが後三条天皇です。

今回は後三条天皇が登場した背景と事績について、歴史オタクなライターkeiと一緒に見ていきます。

ライター/kei

10歳で歴史の面白さに目覚めて以来、高校は文系、大学受験では歴史を選択し、大人になっても暇があれば歴史ネタを調べ歴史ゲームにのめり込む軽度の歴史オタク。洋の東西問わず、中でも中国史と日本史が好き。今回は平安時代の名君、後三条天皇をわかりやすくまとめた。

上皇と院政の由来

平成29年6月9日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、平成31年5月1日より明仁天皇が光格上皇以来およそ200年ぶりの上皇となられました。上皇は現在では政治に関与する権限はありませんが、皇位を譲位して上皇となり、新天皇に対する父権をもって天皇親政を継続し、政治を安定させることは平安時代の皇室における一つの知恵でした。

これを歴史用語では「院政」と呼んでいますが、その始まりとして有名なのは、西暦1073年に第72代天皇として即位し西暦1086年に譲位した白河上皇ですね。しかし、その白河上皇の父親で、院政への移行期を繋ぎ様々な改革を成し遂げたのが、第71代後三条天皇です。

平安時代の日本

後三条天皇の生まれた当時の日本。古代の大改革である大化の改新から300年の時が経過していましたが、どのような状況だったのでしょうか。

公地公民制の行き詰まり

大化の改新で一番重要だったのは、全ての土地と人民を国家のものとする「公地公民制」でしたね。国は全ての土地を国有化して、耕作地を民に貸し出すことを前提としていましたが、農業生産力の向上と人口の増加に伴い、改革からわずか100年足らずで、貸し出すことの出来る新規の耕作地が不足する事態に。

対策として、新規の開墾地を増やすインセンティブを与える施策である、三世一身の法(開墾者から3代は私有地として認める)や墾田永年私財法(開墾地は永久に私有地と出来る)が制定されたのですが、土地の私有を認めることは全ての土地の公有化を掲げた公地公民制の原則を真っ向から否定するものでした。

私有地「荘園」の始まり

image by iStockphoto

新規の開墾地で生産される農産物は国の税収に入ってきません。それどころか自分の財産となるのです。

そのため、有力貴族などは人を雇い、自分たちの財産として積極的に開墾を進めました。それだけならまだしも、平安時代中期以降では、地方の開墾者から有力貴族・有力寺社へ寄進されるケースも。

朝廷から各地の令制国に派遣された国司の不正や癒着などにより、以下のような特権が付けられた私有地も出てきました。

不輸の権  
    本来課されるべき租税が免除される権利

不入の権 
    不正が無いかどうか、役人が立ち入って調べることも出来なくする権利

これら有力貴族・有力寺社の私有財産である土地のことを「荘園」と呼びますが、これらの存在は有力貴族たちの経済力を高めたものの、逆に公地からの収入に依存する朝廷の財政を圧迫することになりました。

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