

「家の女」として一生を終えた菅原孝標女の心の機微を、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 「更級日記」の作者は誰?どのような女性?
- 「更級日記」を書いた菅原孝標女は歌人・学者の家系に生まれた
- 「家の女」として生きた菅原孝標女
- 「更級日記」の名前の由来は?どのような内容が書かれている?
- 「更級日記」は「姥捨て」からの連想でつけられた
- 「更級日記」は5部構成
- 「源氏物語」に憧れたきっかけは?「更級日記」にどうつながる?
- 継母から教わった「源氏物語」のすばらしさ
- 「更級日記」は夢がかなうことを祈る日記
- 「更級日記」を有名にしたのは少女時代の旅の回想
- 「更級日記」から分かる菅原孝標女の旅の過程
- 旅の回想が持つ意味は?
- 「更級日記」に結婚生活の記述が少ない理由は?
- 夫の橘俊通との関係は可もなく不可もなく
- 憧れの貴公子との交流の結末は?
- 菅原孝標女が孤独を深めていく理由は?「更級日記」の最後は?
- とくに大切な存在である実姉と上総大輔との別れ
- 「源氏物語」から生まれた理想と現実のギャップ
- 「更級日記」は憧れが叶わなかった女性の心をつづった日記
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。「更級日記」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「更級日記」は、家で生きた女性の心を垣間見れるとても面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて「更級日記」の記事をまとめた。
「更級日記」の作者は誰?どのような女性?

「更級日記」の作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。平安時代の貴族の家に生まれました。彼女の本名は不明。短いあいだ宮仕えをするものの、人生の大部分は「家の女」として過ごしました。そのため、彼女の人生は、彼女自身が書いた「更級日記」から分かるのみです。
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「更級日記」を書いた菅原孝標女は歌人・学者の家系に生まれた
彼女の父親は菅原孝標。上総国と常陸国の受領をつとめていました(上総国は現在の千葉県、常陸国は現在の茨城県にあたる地域です)。母親は歌人である藤原倫寧の娘。また、菅原孝標の兄そして甥っ子は学者としての道をあゆみました。
父親の高祖父が、現在「学問の神」として親しまれている菅原道真。彼女の母の異母姉には「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母がいます。菅原孝標女はこのような歌人・学者の家系に生まれました。
「家の女」として生きた菅原孝標女
菅原孝標女は、宮仕えをするものの短い期間におわり、橘俊通と結婚します。それからの彼女は「家の女」として生活が中心となりました。
清少納言や紫式部は宮中の女流作家として注目を集める存在。それに対して菅原孝標女は、宮中の華やかな貴族社会から一定の距離を置く、いわゆるパッとしない存在でした。
菅原孝標女の家庭生活は、子供にもめぐまれ、夫とひどく不仲というわけでもない身分相応のもの。しかし彼女の心には絶えず満ち足りない気持ちが。それが「更級日記」を書く原動力となりました。

平安時代の女流作家というと、宮中の注目の的のイメージがある。菅原孝標女は家にいながらひっそりと執筆していた。「更級日記」は、偶然に後世に残った下級貴族の回想というわけだ。彼女の家系に菅原道真がいるので、もともとは高貴な地位にあった家系ではある。
「更級日記」の名前の由来は?どのような内容が書かれている?

「更級日記」という書名は、作者以外の人物によるとする説と、本人がつけたとする説があり、詳細は分かっていません。このタイトルから見えてくるのは作者の孤独。それは「姥捨て」という言葉を連想させるからです。実際、「更級日記」の回想がもっとも輝いているのが少女時代。老いていくにつれて作者の孤独が深まっていきます。
「更級日記」は「姥捨て」からの連想でつけられた
「更級日記」というタイトルの由来は、年老いたころの孤独を読んだ自身の歌に由来。
“月も出でで闇にくれたる姥捨てになにとて今宵たづね来つらむ” (菅原孝標女)
“我が心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月をみて” (読み人知らず)
自身が読んだ歌に含まれている「姥捨て」という言葉を、読み人知らずの「更級」に連想。ここから「更級日記」と名づけられたと言われています。
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