平安時代の文学といえば「源氏物語」と「枕草子」。もうひとつ重要な作品がある。それが「更級日記」です。作者の菅原孝標女は宮仕えの経験も少ない「家の女」。「更級日記」には、小さいころから思い描いていた憧れと、それが叶わなかった女性の心がつづられている。

「家の女」として一生を終えた菅原孝標女の心の機微を、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。「更級日記」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「更級日記」は、家で生きた女性の心を垣間見れるとても面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて「更級日記」の記事をまとめた。

「更級日記」の作者は誰?どのような女性?

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「更級日記」の作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。平安時代の貴族の家に生まれました。彼女の本名は不明。短いあいだ宮仕えをするものの、人生の大部分は「家の女」として過ごしました。そのため、彼女の人生は、彼女自身が書いた「更級日記」から分かるのみです。

「更級日記」を書いた菅原孝標女は歌人・学者の家系に生まれた

彼女の父親は菅原孝標。上総国と常陸国の受領をつとめていました(上総国は現在の千葉県、常陸国は現在の茨城県にあたる地域です)。母親は歌人である藤原倫寧の娘。また、菅原孝標の兄そして甥っ子は学者としての道をあゆみました。

父親の高祖父が、現在「学問の神」として親しまれている菅原道真。彼女の母の異母姉には「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母がいます。菅原孝標女はこのような歌人・学者の家系に生まれました。

「家の女」として生きた菅原孝標女

菅原孝標女は、宮仕えをするものの短い期間におわり、橘俊通と結婚します。それからの彼女は「家の女」として生活が中心となりました。

清少納言や紫式部は宮中の女流作家として注目を集める存在。それに対して菅原孝標女は、宮中の華やかな貴族社会から一定の距離を置く、いわゆるパッとしない存在でした。

菅原孝標女の家庭生活は、子供にもめぐまれ、夫とひどく不仲というわけでもない身分相応のもの。しかし彼女の心には絶えず満ち足りない気持ちが。それが「更級日記」を書く原動力となりました。

「更級日記」の名前の由来は?どのような内容が書かれている?

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「更級日記」という書名は、作者以外の人物によるとする説と、本人がつけたとする説があり、詳細は分かっていません。このタイトルから見えてくるのは作者の孤独。それは「姥捨て」という言葉を連想させるからです。実際、「更級日記」の回想がもっとも輝いているのが少女時代。老いていくにつれて作者の孤独が深まっていきます。

「更級日記」は「姥捨て」からの連想でつけられた

「更級日記」というタイトルの由来は、年老いたころの孤独を読んだ自身の歌に由来。

"月も出でで闇にくれたる姥捨てになにとて今宵たづね来つらむ” (菅原孝標女)
"我が心慰めかねつ更級姥捨山に照る月をみて" (読み人知らず)

自身が読んだ歌に含まれている「姥捨て」という言葉を、読み人知らずの「更級」に連想。ここから「更級日記」と名づけられたと言われています。

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「更級日記」は5部構成

「更級日記」は、菅原孝標女が数え年で13歳から52歳ころまでのあいだをつづった、おおよそ40年分の回想。5部に区分できる内容となっています。

1.京へ向かう旅の生活(父親の上総国における任期がおわり京にもどるまでの旅)
2.京での生活(物語を読みふける生活や、継母をはじめとする大切な人々との別れなど)
3.宮仕えから結婚まで(祐子内親王に仕え、橘俊通と結婚するまで)
4.物詣のこと(子供や夫の出世を願う家庭の暮らし)
5.晩年の日々のこと(子供が独立したあとの孤独な暮らし)

「源氏物語」に憧れたきっかけは?「更級日記」にどうつながる?

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菅原孝標女が紫式部の「源氏物語」のことを知ったのは少女時代。いっしょに上総国へ赴いた継母の影響によるものでした。継母から「源氏物語」のすばらしさを語り聞かされ、物語を読みたい、自分自身で物語を書きたいという想いをつのらせました。

継母から教わった「源氏物語」のすばらしさ

彼女が文学に目覚めるのは継母の影響。父親が上総国と常陸国につとめる際、実母は京にとどまりました。代わりに付き添ったのが血のつながらない母にあたる上総大輔でした。

継母の上総大輔は「後拾遺集」に入集するほど歌よみにすぐれた女性。宮仕えの経験があり、直接的ではないにせよ紫式部と縁がありました。彼女が語り聞かせたのが宮中で触れた「源氏物語」。菅原孝標女が物語への憧れをつのらせるきっかけとなりました。

「更級日記」は夢がかなうことを祈る日記

「更級日記」は、女性の日常をつづっただけの日記とは一線を画します。

継母からの読み聞かせをつうじて「源氏物語」を見たいと願った菅原孝標女。その願いを祈るために実物大の仏像を作らせるほどでした。京に戻ったあと、一部を読むことが叶うものの、全巻を入手するには至らず。

「更級日記」に込められているのは「私はこれだけ願っている」というメッセージ。奇跡が訪れる日を待ちわびながらも、理想と現実のギャップを目の当たりにしていく過程が、赤裸々に書き記されました。

「更級日記」を有名にしたのは少女時代の旅の回想

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「更級日記」のなかでとくに有名な箇所が、上総国から京に戻るまでの旅の回想部分。新幹線も高速バスもない時代、関東から関西に移動することはたいへんなこと。平安時代の貴重な旅の記録でもあります。

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「更級日記」から分かる菅原孝標女の旅の過程

「更級日記」によると、父の孝標が任期を終えたのが1020年9月3日です。上総国を出発した一行は下総「いかだ」で1泊。それから「くろとの浜」で一夜を過ごします。産後のため養生している乳母を見舞ったのち、9月19日に見送りの人々と別れました。

それから、富士山を眺めながら相模、足柄、駿河と進んでいきます。このあたりは山を越えながらの旅。病気や山中の宿泊などの苦労を重ねていたことが記されました。

東海エリアを過ぎ、琵琶湖付近へ。12月2日の夕方、ついに京にある自宅に到着します。このように、千葉から京都に移動する約3か月間が詳細に記述されました。

旅の回想が持つ意味は?

京へ戻る時期は菅原孝標女がとくに生き生きとしているころ。その理由のひとつが、京へ戻ったら「源氏物語」が読めると信じていたから。自宅に戻るとすぐに「源氏物語」を読みたいと実母にせがんだことが回想されています。

もうひとつが「更級日記」を書いているころの菅原孝標女の状況。「家の女」であり、外の世界に触れる機会が少なくなっていました。そのため、少女時代の旅は、心も体も開放された自由なころを思い出させるものだったのです。

「更級日記」に結婚生活の記述が少ない理由は?

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「更級日記」は、宮仕えをしている女性とは異なる「家の女」の記録としても稀有な作品。「更級日記」は、夫の死の悲しみを紛らわすために書かれたとする説もあります。しかし結婚生活に関する記述が少なく、夫が亡くなったときに触れられる程度ということも注目点です。

夫の橘俊通との関係は可もなく不可もなく

夫は橘俊通。官位は従五位上と、ぎりぎり貴族という身分でした。「更級日記」によると2人が結婚したのは、俊通が39歳で菅原孝標女が33歳のころ。平安時代としては高齢になってからの結婚でした。

菅原孝標女は、夫との間に2人の男の子をもうけます。平安時代は現在以上に離婚が珍しくない時代。夫との死別まで添い遂げ、彼の死のことを回想しました。そこから、夫にときめくことはないものの、普通の関係だったと思われます。

憧れの貴公子との交流の結末は?

「更級日記」には夫以上に紙面を差している男性の存在が。それが源資通です。従二位の官位をもつ源資通は、夫よりも高位で和歌の素養もある男性。夫が仕事で不在のころに知り合いました。

源資通と歌を詠みあう場面が長々と記述されていることから、菅原孝標女は恋心を抱いていたのでは?と言われています。少女時代から源氏の君に憧れ続けた菅原孝標女。源資通を源氏の君に見立てていたのかもしれません。

菅原孝標女と源資通の関係は歌のやりとりまで。のちに、ロマンティックな夜を懐かしく思い出しながら「更級日記」を書きつづる菅原孝標女の姿が見えてきます。

菅原孝標女が孤独を深めていく理由は?「更級日記」の最後は?

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「更級日記」の特徴は、少女時代に京に戻ったあとに大切な人との別れが続き、孤独を深めていく過程が回想されている点。孤独な気持ちが、「源氏物語」を読みたいという想いをさらに強く深めていくことが分かります。

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とくに大切な存在である実姉と上総大輔との別れ

「更級日記」によると、菅原孝標女にとって大切な存在だったのが実姉と継母の上総大輔。2人は文学に精通しており、菅原孝標女にいろいろな物語の存在を教えてくれました。

上総大輔は、作者の少女時代にもっとも影響を与えた人物。「源氏物語」に憧れる気持ちは、この継母の存在なくして語ることはできません。父との離婚により菅原孝標女のもとを離れることになりました(ただ、歌の交換などの交流は続きます)。

文学少女である菅原孝標女と近い感性を持った存在であったのが実姉。「猫の夢」の話など、姉と空想的な会話を楽しんだことが回想されています。実姉は、2人の子供を産んだあとに若くして亡くなりました。

「源氏物語」から生まれた理想と現実のギャップ

さらに菅原孝標女を孤独にさせたのは理想と現実のギャップ。「更級日記」には、たびたび「源氏物語」への想いを記した文章が登場します。しかし、光源氏のようにキラキラした貴公子は、現実世界に存在しません。

また菅原孝標女は、自分自身が紫式部のように物語を書くことを夢見ました。短いあいだの宮仕えは理想と現実のギャップを露呈させただけ。だれでも宮中にでれば、紫式部や清少納言のように活躍できるわけではないことを認識させました。

「更級日記」は憧れが叶わなかった女性の心をつづった日記

「更級日記」は、平凡な女性が書き綴った日記。当時は「枕草子」や「源氏物語」のように読まれることはありませんでした。原稿用紙で100枚にも満たない本当に小さな作品です。「更級日記」から見えてくるのは平安時代を生きた作者の等身大の心の機微。今の時代によむと、多くの人の心をとらえる不思議な魅力がつまっています。

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平安時代日本史歴史

「更級日記」を元大学教員がわかりやすく解説!作者は菅原孝標女、「源氏物語」への憧れをつづった?3分で簡単孤独を深める女性の回想

平安時代の文学といえば「源氏物語」と「枕草子」。もうひとつ重要な作品がある。それが「更級日記」です。作者の菅原孝標女は宮仕えの経験も少ない「家の女」。「更級日記」には、小さいころから思い描いていた憧れと、それが叶わなかった女性の心がつづられている。

「家の女」として一生を終えた菅原孝標女の心の機微を、日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。「更級日記」が好きなことから平安時代にも興味を持ち、いろいろ調べるように。「更級日記」は、家で生きた女性の心を垣間見れるとても面白い作品。そこで、平安時代の歴史的背景とあわせて「更級日記」の記事をまとめた。

「更級日記」の作者は誰?どのような女性?

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「更級日記」の作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。平安時代の貴族の家に生まれました。彼女の本名は不明。短いあいだ宮仕えをするものの、人生の大部分は「家の女」として過ごしました。そのため、彼女の人生は、彼女自身が書いた「更級日記」から分かるのみです。

「更級日記」を書いた菅原孝標女は歌人・学者の家系に生まれた

彼女の父親は菅原孝標。上総国と常陸国の受領をつとめていました(上総国は現在の千葉県、常陸国は現在の茨城県にあたる地域です)。母親は歌人である藤原倫寧の娘。また、菅原孝標の兄そして甥っ子は学者としての道をあゆみました。

父親の高祖父が、現在「学問の神」として親しまれている菅原道真。彼女の母の異母姉には「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱母がいます。菅原孝標女はこのような歌人・学者の家系に生まれました。

「家の女」として生きた菅原孝標女

菅原孝標女は、宮仕えをするものの短い期間におわり、橘俊通と結婚します。それからの彼女は「家の女」として生活が中心となりました。

清少納言や紫式部は宮中の女流作家として注目を集める存在。それに対して菅原孝標女は、宮中の華やかな貴族社会から一定の距離を置く、いわゆるパッとしない存在でした。

菅原孝標女の家庭生活は、子供にもめぐまれ、夫とひどく不仲というわけでもない身分相応のもの。しかし彼女の心には絶えず満ち足りない気持ちが。それが「更級日記」を書く原動力となりました。

「更級日記」の名前の由来は?どのような内容が書かれている?

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「更級日記」という書名は、作者以外の人物によるとする説と、本人がつけたとする説があり、詳細は分かっていません。このタイトルから見えてくるのは作者の孤独。それは「姥捨て」という言葉を連想させるからです。実際、「更級日記」の回想がもっとも輝いているのが少女時代。老いていくにつれて作者の孤独が深まっていきます。

「更級日記」は「姥捨て」からの連想でつけられた

「更級日記」というタイトルの由来は、年老いたころの孤独を読んだ自身の歌に由来。

“月も出でで闇にくれたる姥捨てになにとて今宵たづね来つらむ” (菅原孝標女)
“我が心慰めかねつ更級姥捨山に照る月をみて” (読み人知らず)

自身が読んだ歌に含まれている「姥捨て」という言葉を、読み人知らずの「更級」に連想。ここから「更級日記」と名づけられたと言われています。

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