皇帝・黄巣
長安を落として唐を四川に追いやった黄巣。ついに皇帝となります。
斉の建国
長安に入城した黄巣軍は、本当か嘘か、略奪を働かず軍律が厳しかったとされます。長安入城後、民心を掴むためか以下のような布告を出しました。
黄王(黄巣)が兵を起こしたのは、もともと庶民のためである。
唐の李一族のように、汝らを愛さないわけはない。安心して家におるがよい。
黄巣は即位し、斉を建国。金統と年号を改めました。上記の布告の通り、4品官以下の中下級役人は留任して唐の統治機構をそのまま受け継いだのですが、貴族たち高官は全て罷免して、旗揚げ以来の功臣をその座に据えています。
残虐な本性
ところで貴族たち高官は、仕事を無くすだけで平穏無事だったのでしょうか。もちろん、広州大虐殺同様に富裕層への恨みを持つ黄巣軍の統治の下では、安心して家にいることなど出来ませんでした。唐の高官らの官職を剥いだだけではなく、彼らの財産没収や私刑を進めます。
また、後に、唐の将軍の奇襲により長安が一時占領されて斉軍が奪い返した際、唐側に協力した市民たちを「洗城」として殺戮したこともあったようです。
黄巣軍は、敵対した勢力への復讐は徹底していたと言えるでしょうね。
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