
3-4 彼女の晩年
Various artists, often described on work – Florence Nightingale as seen in her portraits. With a sketch of her life, and an account of her relations to the origin of the Red Cross Society (Published 1916) (author Abbott, Maude E), パブリック・ドメイン, リンクによる
クリミアと天使と謳われた彼女の晩年はどのようなものだったのでしょうか。
80歳となったナイチンゲールは、視力が落ちて読書も文字を書くこともできない状況となっていました。また体型も、若い頃はすらりと背が高かったのが大柄のおばあちゃんとなることに。86歳になると、ついに失明してしまいました。しかし彼女の元を訪れるお客は後を絶たず、彼女はベッドから起き上がり会話し、時には冗談を言うこともあったそう。
翌年には女性としては初の「有功勲章」をエドワード7世から受賞した際には、外出が困難だったため、ダグラス・ドーソン卿が自宅に赴き伝達式を行うことに。この時ナイチンゲールは何の章なのか理解できていなかったそう。
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3-5 ナイチンゲールの死
失明してからもナイチンゲールは、新聞を音読してもらっていました。そして亡くなる数日前には、遺書を残すことに。遺書には4つのことが書かれていたそう。派手な葬式をしない、ウェストミンスター寺院へ葬らないこと(有名人が多く眠る寺院として有名だったため)、大袈裟な記念碑を建てない、棺についていくのは2人まで。
そしてナイチンゲールは1910年に90歳の寿命を全うして亡くなりました。彼女はナイチンゲール家に埋葬され、墓石にはF・Nと誕生と没した年のみ刻まれています。
近代看護制度を確立した女性
ナイチンゲールは高い教養力と、敬虔なカトリック教徒でした。そして彼女が16歳の時に転機が訪れることに。神から「私に仕えよ」という声を聞き、看護の道を進むことに。そして1854年でのクリミア戦争での従軍経験から、病院内の環境を整えることの重要性に気づき、帰国後はヴィクトリア女王を味方につけて衛生改革を行うことに。
ナイチンゲールといえば、クリミアの天使や近代看護の母と呼ばれていますよね。しかしそれだけではなく、統計学を用いて客観的に劣悪な環境下での兵士の死亡率を示し、衛生状態を改善することを訴えた人物。統計学の高い知識が認められ、女性として初のイギリス王立統計協会会員にも選出されています。
信心深いナイチンゲールだったからこそ、近代看護を確立することができたといえるでしょう。彼女は90歳で亡くなり、ナイチンゲール家の墓で安らかに眠っています。