
2 クリミア戦争へ
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病人たちを救うことが神から命じられたことと信じたナイチンゲール。こうして彼女は医学と看護の勉強に励むことに。彼女に転機が訪れたのは、1854年に起こったクリミア戦争。この戦争でナイチンゲールは従軍して負傷した兵を看護することに。それでは詳しい経緯について見ていきましょう。
2-1 クリミア戦争とは?
ところでクリミア戦争とはどんな戦争だったのでしょうか。この戦争は不凍港を求めて南下政策を進めたアレクサンドル2世率いるロシアと、オスマン帝国とイギリス、フランスの戦いのこと。なぜイギリスはこの戦争に参戦することになったのでしょうか。
ロシアは南下政策でオスマン帝国に勝利してボスポラス海峡を抜けて地中海へ進出することを狙っていたのです。一方イギリスはインドを押さえ北に向かって領土を拡大しようとしていました。こうして両者が領土の奪い合いをしたため、互いに戦うことに。ちなみにこの様子を揶揄して、「グレート・チェスゲーム」と呼ばれるように。
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2-2 ナイチンゲール、任命される
ナイチンゲールは当時の陸軍大臣だったシドニー・ハーバートから「クリミア戦争で負傷した兵のために看護団を率いて現地へ向かってほしい」と要請されることに。
しかしナイチンゲールの家族は反対。良家の娘が病人や貧しい人を助けることに抵抗感を感じたため。当時の社会では女性は働くものではないと考えられていました。働かないといけない女性は、卑しいとされていた時代。家族からの反発もうなずけますね。ところが大臣から「総監督」という肩書を授けられると、一変。彼女の家族は応援することに。また若い女性が年配の女性を引き連れて戦地で傷ついた兵士たちを看病するために赴くことから、イギリス中が彼女を英雄視し熱狂することに。こうして激励を受けたナイチンゲールの一団は戦地へと向かうことに。
2-3 熱烈な激励を受けたものの、戦地では…
ナイチンゲールは体力があって年配の女性38人を伴って、戦地スクタリの野戦病院へ赴くことに。しかし現場の反応はとても冷たいものでした。軍医らはナイチンゲールらを徹底的に無視。これに対し看護婦らは憤慨することに。しかしナイチンゲールは冷静でした。彼女は他の看護婦らを宥め、軍医からの指示を待つように呼びかけます。そして指示を待っている間に、誰の仕事にもなっていなかったトイレ掃除しました。ナイチンゲールらが掃除をする前のトイレはとても不潔で、負傷した兵士らがこのトイレを使うことでかえって症状が悪化したり合併症を起こしたりする要因に。そして戦局が激しくなってくると、とうとう軍医らは彼女たちの助けを求めたのでした。
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