幕末日本史歴史江戸時代

龍馬とともに薩長同盟に奔走、暗殺に倒れた「中岡慎太郎」幕末土佐藩の志士について歴女がわかりやすく解説

3-3、慎太郎、孝明天皇崩御後の公家の実力者に岩倉具視を推す

慎太郎は慶応2年(1867年)12月25日の孝明天皇崩御後、朝廷工作の出来そうな公家がいないか三条実美と相談、謹慎中の岩倉具視は奸物といわれたが有能そうだということで、人物眼には定評のある慎太郎が実際に会って判断することに。慎太郎は翌年の4月21日 岩倉具視に初めて会うために三条の手紙を持ち、隠棲中の洛北岩倉村を訪ねて人物試験をしたところ、岩倉は慎太郎が思った以上に「神のごとき陰謀の才」があり、また岩倉の方も慎太郎を天下のことを一緒にやれる人物と見込んだということ。以後、岩倉は表舞台に登場し、活躍することに。

そして慎太郎は、もうひとり、江戸で洋兵修業していた乾退助(板倉)も京都へ呼び寄せて、西郷や色々な人に宣伝して回り表舞台に登場させたと司馬遼太郎著「竜馬がゆく」に。慎太郎はかつて、退助を斬ろうとしたことがあり、未遂に終わったが、文久2年(1862年)一時高知に帰ったときに退助に会いに行った慎太郎に、「君は以前、京都で私を斬ろうとしただろう」と退助に言われて、はじめはしらを切ったが「中岡慎太郎は、男であろう」と迫られたため、「いかにも」と正直に打ち明けると、互いに胸襟を開いて仲良くなったということで、その後退助は慎太郎の影響を受けて兄事していたそう。退助はその後、戊辰戦争で活躍することに。

3-4、慎太郎、陸援隊隊長に

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保利与兵衛 – 中岡慎太郎館所蔵品。, パブリック・ドメイン, リンクによる

慶応4年(1867年)6月27日、慎太郎は、長州で見聞した奇兵隊を参考に浪士達の保護と、いざという時の遊軍としても備えるべく、土佐藩公認の陸援隊を組織して、自ら隊長となり、白川にあった土佐藩邸を本拠地に。またこの頃、討幕と大攘夷を説いた「時勢論」を書いたそう。

慎太郎はこの陸援隊の隊長として横山勘蔵の変名を使い、他には田中顕助、大橋慎三、香川敬三などが参加、岩倉具視の意向も働いていたようで、薩摩の軍官による調練も行われたということ。慎太郎が変名を使ったのは、慎太郎は強硬な倒幕論者として新選組にマークされていて、探索つまりスパイを警戒してのこと。

3-5、近江屋事件で遭難

image by PIXTA / 1426270

同年11月15日、慎太郎は、陸援隊士が起こした事件について相談するために、京都四条の近江屋に坂本龍馬を訪問中、何者かに襲撃され瀕死の重傷を。龍馬は即死ないし翌日未明に息絶えたが、慎太郎はその後2日間生き延び、暗殺犯の襲撃の様子について谷干城などに詳細に語ったものの、11月17日に死去、享年30歳。

近江屋事件のその後
坂本龍馬と中岡慎太郎という土佐の両巨頭が暗殺された事件ということで、騒然たる有様になり、当初は襲撃後2日生き延びた慎太郎の証言と、犯人の残した刀の鞘、下駄などから新選組が犯人とされたが、海援隊の陸奥宗光らは、紀州藩士によるいろは丸事件の報復を疑い、12月6日に陸奥陽之助(宗光)らが天満屋にいた紀州藩御用人三浦休太郎を襲撃して、三浦の護衛の新選組と斬り合いに(天満屋事件)。

また、慶応4年(1868年)4月、下総国流山で降伏して捕縛された新選組局長近藤勇に対しても、部隊の小監察で近江屋に最初に駆けつけた土佐藩士谷干城の強い主張によって、切腹ではなく斬首に処されたことや、会津戦争では執拗なまでに鶴ヶ城を攻撃したのも、近江屋事件の犯人探しと龍馬と慎太郎暗殺への遺恨が根底にあるといわれるほど。

そして明治になってもこの事件の犯人探しが行われたのは極めて異例だということで、明治3年(1870年)、箱館戦争で降伏し捕虜になった元見廻組の今井信郎が、与頭佐々木只三郎とその部下だった今井以下6人で龍馬と慎太郎殺害を供述、現在では見廻組犯人説が定説に。

金斗雲を持っていると言われたほど東奔西走し、坂本龍馬と薩長同盟締結に尽力

中岡慎太郎は、老父の跡を継いで土佐の田舎の名主になるはずが、18歳でのちの土佐勤王党の武市半平太瑞山と出会ったのがきっかけで、幕末の志士となって活動。そして土佐藩の弾圧を逃れて脱藩し、長州藩に亡命、以後は長州藩志士たちと活動しつつ、長州藩と薩摩藩を同盟させるために奔走するように。

同じ目的を持っていた同郷の坂本龍馬と協力して薩長同盟を成立させ、激動の明治維新をクライマックスに導くことになりましたが、この両人が暗殺されてしまい、その後の明治新政府がどうなるかを見られず、関われなかったことは残念。

歴史の転換期にはこういう自分の仕事を成し遂げた後、さっと消えてしまう人がいるということで、明治維新にはそういう人たちが続出しましたが、中岡慎太郎の業績はあの素晴らしい笑顔の写真と共に、もっとクローズアップされてもいいのではと思うこの頃です。

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