幕末日本史歴史江戸時代

龍馬とともに薩長同盟に奔走、暗殺に倒れた「中岡慎太郎」幕末土佐藩の志士について歴女がわかりやすく解説

3-1、慎太郎、倒幕のため薩長同盟に向かって動く

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不明または上野彦馬写真館にて撮影。福井で撮影されたとの説もある。 – 個人所蔵品。, パブリック・ドメイン, リンクによる

その後の慎太郎は、長州藩こそが新しい時代の希望とみて、長州、薩摩の二大雄藩の同盟なくして倒幕は不可能と判断、実現へむけて動くことに。慎太郎の「時勢論」には、「天下を興さん者は、必ず薩長両藩なるべし」とあるそう。

そして慎太郎は、元治元年(1864年)年末に、薩摩の西郷隆盛とはじめて会い、翌年には、薩長同盟について坂本龍馬が同志となったが、ライバルの藩を会談させる交渉はむずかしく、西郷が会談を一方的に放棄して、長州側が激怒したなども。慎太郎は、薩摩や七卿のいる大宰府、長州の下関や三田尻、それに京都とまさに東奔西走。

この薩長同盟は、慶応2年(1866年)京での薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)との会談で最終的にまとまったのですが、その時に立ち会ってまとめたのは坂本龍馬だが、薩長双方にわたっていた慎太郎の人脈と信頼関係と奔走の功労が大きいと言われています。

3-2、慎太郎、薩土密約にも奔走

慶応3年(1867年)2月、慎太郎は、龍馬と共に土佐藩から脱藩罪が赦免に。その後、薩土同盟についても奔走、5月21日、土佐藩の乾退助(板垣退助)と薩摩の小松帯刀、西郷隆盛との間で、武力倒幕のための薩土密約の締結に成功。そして
更に本格的に取り込むために、6月22日には京都三本木料亭「吉田屋」で薩摩の小松帯刀、大久保利通、西郷隆盛、土佐の寺村道成、後藤象二郎、福岡孝弟、慎太郎、坂本龍馬との間で、倒幕・王政復古の実現のための薩土盟約が締結。

この薩土盟約は、長州藩の隣藩である安芸藩を加えて薩土芸三藩約定書に拡大発展。とはいえ薩土同盟、薩土芸同盟は、翌年1月の鳥羽伏見の戦いで薩摩と長州による官軍の優勢が判明するまでは、実質的威力に乏しかったということ。

しかしこの同盟があればこそ、明治維新での土佐藩が、薩摩、長州と並ぶ主要勢力とみなされ、明治政府での藩閥に土佐出身者が重要な位置を占めることにつながったということ。

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