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スポーツマンシップ溢れるセオドア・ルーズベルトの「棍棒外交」を元大学教員がわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。合衆国の外交政策のひとつが「棍棒外交」。カリブ海地域を棍棒片手に練り歩くセオドア・ルーズベルト大統領のイラストが有名だ。ルーズベルトはアメリカ自然史博物館の支援のもと、アフリカや中南米探検を成功させたアウトドアの達人として人気を博した政治家でもある。

そんな自然を愛するスポーツマン大統領セオドア・ルーズベルトが展開させた「棍棒外交」について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界の発明の歴史をみていくとき「棍棒外交」を避けて通ることはできない。「棍棒外交」は、現代の中南米・カリブ海とアメリカの関係に通じるところも大きい。そこで推進者であるセオドア・ルーズベルトに注目して、「棍棒外交」について解説する。

棍棒外交とはなに?

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William Allen Rogers Courtesy of Granger Collection – http://americanhistory.si.edu/militaryhistory/exhibition/zoomify.asp?id=1937&type=g&width=640&height=480&hideAlt=1, パブリック・ドメイン, リンクによる

「棍棒外交」という言葉は、アメリカ第26代大統領のセオドア・ルーズベルトによる「棍棒を携え、穏やかに話す(speak softly and carry a big stick)」に由来。中南米・カリブ海地域に対する合衆国の介入を前提とする外交政策をあらわす言葉として使われるようになりました。

中南米地域におけるヨーロッパ諸国の介入を牽制

アメリカ大陸はもともとヨーロッパの植民地。アメリカ合衆国が独立したあとも、中南米・カリブ海地域には、スペイン、ポルトガル、フランスなど、ヨーロッパ諸国の影響が強く残っていました。

それに対してセオドア・ルーズベルトは、アメリカ大陸に対するヨーロッパ諸国の干渉を牽制。アメリカ大陸における覇権国は合衆国であることを明言。そして、自ら棍棒を携えて中南米・カリブ海地域をコントロールすることを表明しました。

ラテンアメリカにおける軍隊派遣を正当化

中南米・カリブ海地域にあるほとんどの国は20世紀に入ってもなお政権が不安定でした。そのような情勢に対してセオドア・ルーズベルトは棍棒=軍隊をちらつかせながら対話する威嚇的な外交方針をとることを表明します。

これは、ラテンアメリカをコントロールするのはヨーロッパ諸国ではなく合衆国であると考えることからくる方針。これは合衆国とラテンアメリカ諸国を相互に強く結びついたものと捉える「パン・アメリカ主義」とも深くかかわっています。

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合衆国は、もともとイギリスの植民地であったこともあり、いかにその影響から脱するかにこだわった。合衆国とヨーロッパ諸国の相互不干渉をとなえる「モンロー主義」の影響も大きく受けている。「棍棒外交」は合衆国のプライドそのものでもあったのだ。

虚弱体質だったセオドア・ルーズベルト

image by PIXTA / 35008440

棍棒を携えたイラストからマッチョなイメージが強いセオドア・ルーズベルト。実は、彼自身の幼少期はかなりの虚弱体質で、両親に心配ばかりをかけていました。そこで父親のすすめからいろいろなスポーツや武道にはげみ、キャンプなどのアウトドア生活にのめりこみます。

病気を克服するためにスポーツに熱中

1858年生まれのセオドア・ルーズベルトが熱中したのがボクシング。父親のすすめではじめました。その後、ルーズベルトは喘息もちであったことから、アメリカの大自然のなかで馬を乗り回したり、キャンプをしたりする生活に興味を抱くようになります。

くわえて彼が興味を持ったのが日本の武術。柔道の腕前はかなりのものであり、茶帯を取得していたことでも知られています。また、大統領になってから日本人の相撲取りを招待。ホワイトハウスのなかで取り組みを観戦するほどでした。

\次のページで「ハンターとしての才能も開花」を解説!/

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