

そんな自然を愛するスポーツマン大統領セオドア・ルーズベルトが展開させた「棍棒外交」について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。
- 棍棒外交とはなに?
- 中南米地域におけるヨーロッパ諸国の介入を牽制
- ラテンアメリカにおける軍隊派遣を正当化
- 虚弱体質だったセオドア・ルーズベルト
- 病気を克服するためにスポーツに熱中
- ハンターとしての才能も開花
- 米西戦争はルーズベルトの「棍棒外交」の出発点
- 騎兵隊にて活躍する姿が国内で話題になる
- スペインの撤退の立役者として名誉勲章にノミネート
- 大統領昇格後は大企業の独占に戦いを挑む
- シャーマン反トラスト法にて市場の独占を牽制
- 純正食品の製造を促して消費者を守る
- 「棍棒外交」の一環としてパナマ運河の建設を開始
- パナマの革命家を背後支援して独立に関与
- パナマ運河を「棍棒外交」のシンボルとして発信
- アフリカ探検では棍棒ではなく銃を使いこなす
- 大統領選が終わるとすぐに探検の準備に着手
- 2回目の探検は南アメリカのアマゾンが舞台
- 「棍棒外交」は戦略的に対等な関係を作り出す外交だった
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界の発明の歴史をみていくとき「棍棒外交」を避けて通ることはできない。「棍棒外交」は、現代の中南米・カリブ海とアメリカの関係に通じるところも大きい。そこで推進者であるセオドア・ルーズベルトに注目して、「棍棒外交」について解説する。
棍棒外交とはなに?
William Allen Rogers Courtesy of Granger Collection – http://americanhistory.si.edu/militaryhistory/exhibition/zoomify.asp?id=1937&type=g&width=640&height=480&hideAlt=1, パブリック・ドメイン, リンクによる
「棍棒外交」という言葉は、アメリカ第26代大統領のセオドア・ルーズベルトによる「棍棒を携え、穏やかに話す(speak softly and carry a big stick)」に由来。中南米・カリブ海地域に対する合衆国の介入を前提とする外交政策をあらわす言葉として使われるようになりました。
中南米地域におけるヨーロッパ諸国の介入を牽制
アメリカ大陸はもともとヨーロッパの植民地。アメリカ合衆国が独立したあとも、中南米・カリブ海地域には、スペイン、ポルトガル、フランスなど、ヨーロッパ諸国の影響が強く残っていました。
それに対してセオドア・ルーズベルトは、アメリカ大陸に対するヨーロッパ諸国の干渉を牽制。アメリカ大陸における覇権国は合衆国であることを明言。そして、自ら棍棒を携えて中南米・カリブ海地域をコントロールすることを表明しました。
ラテンアメリカにおける軍隊派遣を正当化
中南米・カリブ海地域にあるほとんどの国は20世紀に入ってもなお政権が不安定でした。そのような情勢に対してセオドア・ルーズベルトは棍棒=軍隊をちらつかせながら対話する威嚇的な外交方針をとることを表明します。
これは、ラテンアメリカをコントロールするのはヨーロッパ諸国ではなく合衆国であると考えることからくる方針。これは合衆国とラテンアメリカ諸国を相互に強く結びついたものと捉える「パン・アメリカ主義」とも深くかかわっています。

合衆国は、もともとイギリスの植民地であったこともあり、いかにその影響から脱するかにこだわった。合衆国とヨーロッパ諸国の相互不干渉をとなえる「モンロー主義」の影響も大きく受けている。「棍棒外交」は合衆国のプライドそのものでもあったのだ。
虚弱体質だったセオドア・ルーズベルト

棍棒を携えたイラストからマッチョなイメージが強いセオドア・ルーズベルト。実は、彼自身の幼少期はかなりの虚弱体質で、両親に心配ばかりをかけていました。そこで父親のすすめからいろいろなスポーツや武道にはげみ、キャンプなどのアウトドア生活にのめりこみます。
病気を克服するためにスポーツに熱中
1858年生まれのセオドア・ルーズベルトが熱中したのがボクシング。父親のすすめではじめました。その後、ルーズベルトは喘息もちであったことから、アメリカの大自然のなかで馬を乗り回したり、キャンプをしたりする生活に興味を抱くようになります。
くわえて彼が興味を持ったのが日本の武術。柔道の腕前はかなりのものであり、茶帯を取得していたことでも知られています。また、大統領になってから日本人の相撲取りを招待。ホワイトハウスのなかで取り組みを観戦するほどでした。
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