
2-5 アンリの即位
サンバルテルミの虐殺の2年後にシャルルは結核のためこの世を去ることになりました。こうして3男のアンリがアンリ3世として即位。ちなみに4人いた息子たちの中でアンリはカトリーヌに溺愛されていたそう。そのためか、アンリを王にするために、カトリーヌが長男フランソワと次男シャルルを毒殺したのではないかとという噂が立つことに。
アンリ3世はわずか16歳にして国王軍の総司令官に母から任命され、次々と勝利を収めました。こうしてアンリ3世の名声がフランス国内に知れ渡ることに。
2-6 3アンリの戦い
1585年からは、ヴァロワ朝のアンリ3世、カトリック教徒の有力者ギーズ公アンリ、そしてユグノー教徒のブルボン家アンリの三つ巴の戦いとなることに。この3人が争うことになったきっかけは、ヴァロワ朝のアンリに子どもがいないためでした。このため王位継承法で次の王へはユグノー教徒のブルボン家アンリが継承することに。
当初は同じカトリックのアンリ3世とギーズ公アンリが手を組み、ブルボン家のアンリを追い詰めました。1587年にクートラの戦いで、カトリック側7万の兵に対し、ユグノー側はイングランド、デンマーク、ドイツ諸侯から援助を受けたが劣勢。しかしブルボン家のアンリの指揮のもと、奇跡的に勝利を収めることに。ところがドイツからの援軍をギーズ公が破ったため、国王アンリ3世よりもギーズ公の人気が高まることに。
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2-7 ギーズ公の暗殺
Charles Durupt (1804-1838) – https://www.photo.rmn.fr/archive/03-003448-2C6NU042KTEB.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
フランス国内でのギーズ公の人気の高まりですっかりの影の薄い存在となったアンリ3世。ギーズ公が1588年に事実上のクーデタを起こすと、その後アンリ3世はギーズ公を暗殺することに。
ところがギーズ公を暗殺したことで、フランス国内では暴動が起きることに。ギーズ公の亡き後に彼の弟が指揮をしました。これにより、アンリ3世にとっては王国を失うかもしれなくなり、ブルボン家アンリにとっては正式に王位継承者と認められるのか分からない状況へ。こうしてアンリ3世とブルボン家のアンリの利害が一致したため、2人は和議契約を結びました。しかしその4か月後にアンリ3世はカトリックの修道士によって暗殺されることに。
3 ブルボン家アンリ4世の即位
フランス・ポルビュス (子) – http://www.photo.rmn.fr/archive/13-604682-2C6NU0LCSIQ3.html art-prints-on-demand.com, パブリック・ドメイン, リンクによる
こうしてカトリック側のギース公とヴァロワ朝のアンリ3世が次々と暗殺で亡くなると、冠がブルボン家のアンリの元へやって来ることに。しかしブルボン家のアンリも決して平たんな道のりではありませんでした。ここではアンリこと、ブルボン朝の始祖アンリ4世が国内を平定してナントの王令を出すまでを詳しく見ていきましょう。
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3-1 順調ではなかった即位
ブルボン家のアンリが即位を宣言したのが1589年。ところがフランス国内でアンリ4世の即位を承認したのは、ユグノー教徒だけ。フランス国内のユグノー教徒は2割ほどだったため、カトリック教徒たちからは認められなかったアンリ。なんとパリへ入城することすらできない状況だったのです。こうしてアンリは武力を用いて国内を平定することに。
3-2 アンリを阻むフェリペ2世
アンリ4世がやっとのことでフランス国内を治めると、今度は隣国のスペインが介入することに。なぜフェリペ2世はアンリ4世に対して介入をしたのでしょうか。
それはフェリペが自身をカトリックの守護者と自認していたため。これまでカトリック国だったフランスが次に即位した王がユグノー教徒(プロテスタント)だったため、なんとしても阻止したい思惑がありました。そのためフェリペは自身の3番目の妻がカトリーヌ・ド・メディシスの娘だったことから、フェリペの娘をフランス女王にしようとすることに。これに対し、アンリはプロテスタント国のイギリスの援助を受けてスペインを退けます。しかしアンリの中で、ユグノーからカトリックへの改宗は避けられないことと悟ることに。
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