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16世紀に起きたカトリック教徒とユグノー教徒の争い「ユグノー戦争」を歴女が5分でわかりやすく解説!

よぉ、桜木建二だ。今回はユグノー戦争についてだ。

ユグノー戦争は16世紀のフランスで起こった宗教戦争だ。フランスはもともとカトリック国だったが、ユグノー教徒が増え、両者が対立することに。当時フランスを治めていたシャルル9世とその母カトリーヌ・ド・メディシスは両者の和解を目指し、カトリック教徒のヴァロワ家の娘マルゴとユグノー教徒のブルボン家アンリとの結婚が行われることになるんだが…。

それじゃあユグノー戦争について詳しいことはまぁこと一緒に解説していくからな。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/まぁこ

ヨーロッパ史好きなアラサー女子。特にハプスブルク家やブルボン家、ロマノフ家などヨーロッパの王家に関する書籍を愛読中。今回はブルボン王朝の始祖、アンリ4世が絡んだユグノー戦争について解説していく。

1 ヴァロワ朝の人々

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François Dubois[1], パブリック・ドメイン, リンクによる

ユグノー戦争について説明する前に、ユグノー戦争が起こる前のフランスについて簡単に説明をしようと思います。ユグノー戦争が起こる前のフランスでは、王権が強化されてきていました。ここではフランスで興ったヴァロワ朝の人々や縁の深い人物を紹介していこうと思います。

1-1 アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス

アンリ2世はヴァロワ朝の10代目の国王。しかし1559年に行われた槍試合で右目を槍で貫く事故があり、事故から10日後にその傷がもとで亡くなることに。彼の死後にユグノー戦争が起こることになるのでした。

そして彼の妃となったのがイタリアの大富豪、メディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディス。ところがアンリはカトリーヌのことを顧みることがなかったそう。アンリは王の義務としてカトリーヌに大勢の子どもを産ませましたが、心は愛妾ディアーヌに奪われたままでした。

1-2 アンリの愛人ディアーヌ

アンリ2世の愛妾として有名なのが、ディアーヌ・ド・ポワチエ。なんと彼女はアンリの母よりも年上の女性。もともとは貴族の女性で、アンリ2世の教育係を担っていたそう。アンリ2世は妃のカトリーヌではなく、ディアーヌを愛し多くのプレゼントを贈ることに。そのプレゼントの中には、宝石や城までもあったそう。そのため、個人の中では最も多くの資産を得た女性となることに。ところがアンリの事故死によってその立場が一変することに。

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ディアーヌ・ド・ポワチエはとても美しい女性だったそうだ。なんと彼女の美貌は老いても変わることがなかったという。そんなディアーヌにアンリは夢中となり、ディアーヌの側を離れたがらなかったというエピソードもあるんだ。

1-3 政権を握ったカトリーヌ・ド・メディス

image by iStockphoto

アンリ2世の槍試合の事故死によって政治を牛耳ることになったカトリーヌ。彼女は憎き夫の愛妾だったディアーヌ・ド・ポワチエから宝石や城などを取り上げました。中でも取り上げた城は、アンリ2世がディアーヌに与えた美しいシュノンソー城で、城に行くまでの道をソワソワとアンリが渡っていたそう。カトリーヌはシュノンソー城をディアーヌから取り戻すと、彼女と競うように彼女が造った庭園よりも立派な庭園を造ることに。

政治面ではカトリーヌには4人の息子たちがおり、まずは長男のフランソワがフランソワ2世として即位することになりました。そして彼女自身は摂政として政治を担っていくことに。

\次のページで「1-4 フランソワの急死」を解説!/

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