元寇後の日本と元
元寇の後、幕府は一時中断していた高麗征伐計画を再び再開、出兵の計画を発表するまでに至りますが、これもまた突如中止となってしまいます。その理由は定かではないものの、おそらく元寇の戦いによる出費で御家人の生活が苦しくなっていたことが原因ではないかとされました。
一方、撤退した元は多くの兵を失いましたが、フビライハンは未だ日本征服を諦めきれずに3度目の日本侵攻計画を立てます。この計画は様々なやりとりから中止と再開を繰り返しますが、最終的にはフビライハンが考えを改めて中止が決定され、元に勝利した日本の強さを世界に知らしめることにもなったのです。
こうして侵略の危機を乗り越えた日本、元を追い払って平和が戻ったかのように思われましたが、実はそうでもありませんでした。最強モンゴル帝国・元との戦いに貢献した日本の御家人達は、この戦いがきっかけとなって鎌倉幕府に不満を抱くようになったのです。
元寇で失った鎌倉幕府の信頼
鎌倉幕府の政治政策に御恩と奉公があります。「下の者は上の者のために働いて奉公し、上の者は下の者の働きに御恩を返す」……鎌倉幕府はこの御恩と奉公によって主従関係を確かなものとしていましたが、それが元寇によって崩れてしまうことになりました。
本来御恩で与えるのは領地であり、その領地とは戦いの敗者の領地を奪って渡すものです。つまり、御恩と奉公は国内の戦いにおいてしか成り立たず、そのため外国との戦いだった元寇では例え勝利しても与える御恩……すなわち領地がありませんでした。
御家人からすれば戦いの出費だけが重なっていき、勝利しても領地が得られず、最強モンゴル帝国・元と命をかけて戦った元寇はタダ働き同然の扱いになってしまったのです。当然、御家人達の不満は高まって鎌倉幕府の信頼は低下、これが近い将来鎌倉幕府が滅亡する大きな要因になるのでした。
文永の役だけではダメ!弘安の役とセットで元寇として覚えよう
文永の役はそれだけ覚えても歴史の勉強としては知識にならず、弘安の役とセットで覚えて元寇のマスターが必須です。また、元寇後の日本に注目することも大切で、御恩と奉公の崩壊は鎌倉幕府滅亡の要因としても挙げられています。
内乱ではない分、複雑な人間関係は一切ないため元寇は覚えやすいでしょう。注意すべきなのは文永の役と弘安の役が起こった順序、そして文永の役の神風は実際に起こらなかったという新たな事実の把握です。
