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修道士でありながら戦う騎士だった「テンプル騎士団」を戦国通のサラリーマンが徹底わかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。欧米諸国では約1000年頃から約1900年頃にかけて多数の騎士団を創設されていたようだ。騎士団と名付けられているが、元々は修道士達の集まりでローマ教皇に認可されていた騎士団と修道会を模して王族によって作られた騎士団が存在するようだな。

今回はローマ教皇に認められた世界で始めて結成された騎士団を歴史マニアでもある歴史ライターのwhat_0831と一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/what

騎士団といえば真っ先に出てくるテンプル騎士団について、細かく調べ上げて紹介していく。

テンプル騎士団の前身

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テンプル騎士団の始まりは、前身である第一回十字軍の軍事行動によって結成されることになります。まずは全身となった第一回十字軍について紹介していきましょう。

西欧を巻き込んだ騒動

十字運動となる前にカロリング朝が、後の初代ローマ法皇となるカール大帝とフランス国王カールマンによって分裂したことでカトリック教徒とイスラム教徒に分かれることになりました。イスラム教徒になったのは、ヴァイキングとマジャール人。これによって西欧のカトリック圏は一時的に落ち着きを見せていました。

民が十一世紀に増加し始め大聖堂や新都市周辺へ移住し信仰熱が、向上していくと共に聖堂周辺の遺跡物の収集や発掘をするなどしてエルサレムなどへの巡礼する人が多数押し寄せます。ところが信仰に白熱するあまり、非カトリック教徒に向けて動き出し侵略や略奪などを行い経済的なところに目を付けていきました。

またヴァイキングと古代総主教庁に関係する正教会がシチリア半島を巡り争い出すと多くの国々でイスラム教徒派とカトリック教徒派が争い、西欧からイスラム教徒が駆逐されていきます。第一回十字軍が始まるより前に、教徒同士の争いが激化し始めていた状況でした。

十字軍の結成

十字軍の発端となったのは、聖地エルサレムを奪還するために西欧諸国とイスラム諸国の間に位置していた東ローマ帝国のコムネノス皇帝がローマ教皇のウルヌバス二世に領地占領されたことで救援依頼したことから結成されたようです。また間に位置していたこともあり俗権力の下に正教徒が二つに分かれていて隣国から圧迫されていた状況でした。

ウルヌバス二世が救援を快く引き受けてくれ、教会を合同することを目的として1095年からフランス中南部を渡り歩き自分の意見を広めていき十字軍派遣の構想を練っていきます。フランスに滞在しているところでウルヌバス二世が重大な発表があるといい民衆を集めイスラム教徒からエルサレムを奪還していくことを訴えていきました。

その訴えがフランス人達に届き行動に参加する者は、天において報われるといい軍事行動で命を落としたとしても免償が与えられたようです。ウルヌバス二世の行動によってフランスの民衆が賛同し大きな反響を得ることになりました。

エルサレムを包囲し奪還

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諸侯により十字軍の活発な活動とニカイア包囲網やエデッサ攻略を経て、最後の戦いとなるアスカロンの戦いへ発展していきます。戦いを制圧していきエルサレムを目指し進軍していた十字軍でしたが、ファーティマ朝と交渉を重ねていくも双方の合意とはならず交渉が決裂しました。交渉決裂によって十字軍はパレスチナまで進軍しエルサレム陥落させると、ファーティマ朝の大軍がエルサレムへ向かっている情報掴みエルサレムで守りを固めていきます。

ファーティマ朝の軍勢は約五万もの大軍で対する十字軍は多くても一万ほどの兵力しかありません。しかし近くにいた動物の集団が十字軍の後方に、付いてきたことで軍勢が大きく見えることになりファーティマ朝を混乱させることに成功しました。

偵察によりファーティマ朝の宿営地を発見し九部隊に分けて進軍し攻撃を開始していきます。ファーティマ朝は攻撃の準備が整っていない状態で、攻められたため主要部隊の出番がないまま十字軍に追い詰められ潰走していきました。

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エルサレムの包囲した時には、劣勢に陥っていた十字軍だったが旧約聖書に記されている故事をなぞらえてペトルス・デジデリウスが城壁が崩壊する幻を見たといい城壁をくまなく確認したところ弱点を発見し勝利を収めるきっかけになったそうだ。ただ戦いは非常に残酷だったようで、エルサレムに侵入した十字軍はエルサレムの中にいる人々を見境なく虐殺したとされ城内に死者で溢れかえり死者の地は人の膝ぐらいまであったとされているようだ。

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