日本史歴史飛鳥時代

日本を律令国家へと推し進めた「天武天皇」と「持統天皇」夫婦を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

「大宝律令」に関わる持統天皇

孫の軽皇子が15歳になると、持統天皇は譲位して太上天皇(上皇)となります。この当時、天皇は亡くなるまでずっと天皇であって、途中で譲位するということは滅多にありません。持統天皇は存命中に譲位した二番目の天皇であり、初の太上天皇となりました。

しかし、もう天皇ではないからと言って政治から遠ざかることはありません。持統上皇は孫の文武天皇(軽皇子)と並んで政務に携わると、「大宝律令」の制定に関わっていたと考えられています。

日本史上初の本格的な律令「大宝律令」

「大宝律令」は701年に文武天皇によって発布された日本史上初の本格的な法律とされています。持統天皇によって発布された「飛鳥浄御原令」は日本初の律令でしたが、先述した通り、律(刑法)は唐のものそのままだったため、日本の実情に合わないという欠点がありました。「大宝律令」はそれを克服したものなんですね。

その内容は、朝廷の官庁の部署を定めたものから、僧侶たちを統制する規定など、行政法から民法までの多岐に渡りました。

天皇中心の律令国家をまとめあげた夫婦

古代日本における最大の内乱「壬申の乱」から始まり、「大宝律令」の制定まで日本を天皇中心の律令国家へとまとめあげた天武天皇と持統天皇の夫婦。

最初こそ完ぺきではなかった「飛鳥浄御原令」でしたが、孫の文武天皇の代には「大宝律令」として完成させました。さらに、唐に倣った都づくりは後の平城京や平安京へも受け継がれていきます。

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