日本史歴史飛鳥時代

日本を律令国家へと推し進めた「天武天皇」と「持統天皇」夫婦を歴史オタクがわかりやすく5分で解説

天武天皇の崩御と長いもがり

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天武天皇は、さまざまな大事業に着手するも完成を待たずして病に倒れ、崩御してしまいました。そうして天武天皇の二年におよぶ「もがり」がはじまったのです。「もがり」というのは古代日本で行われていた葬儀儀礼で、棺におさめた遺体が白骨化するまでの長期間にわたります。

皇太子は天武天皇と鸕野讃良の息子・草壁皇子でしたが、草壁皇子はこのもがりの間に若くして亡くなってしまうのです。そこで、草壁皇子の子どもで、天武天皇の孫にあたる軽皇子に白羽の矢が立ちました。しかし、軽皇子は幼すぎるために、軽皇子の成長まで皇后・鸕野讃良自らが即位して持統天皇となり、天武天皇の大事業を引き継ぐこととなったのです。

日本最初の法律「飛鳥浄御原令」

天武天皇の事業を引き継ぎ、持統天皇は「飛鳥浄御原令」を発布しました。「律令」を平たく説明すると、「律」は刑法、「令」はそれ以外の行政法のことを指す言葉です。

「飛鳥浄御原令」は、唐の律令に倣った日本最初の体系的な律令ですが、「律(刑法)」を唐のものそのままでした。なので、内容が日本に合っていないところが多くありました。これは草壁皇子の急死による朝廷の動揺を抑えつつ、天武天皇の遺志を継承していることを示すために、予定を前倒ししたためだと考えられています。

しかしながら、「飛鳥浄御原令」を書き記したものは現存せず、詳しい内容はわかりません。すべて完成された内容ではなかったため、その後も律令の編纂が続き、後に刑法もしっかりととのった「大宝律令」へと繋がっていくのです。

「条坊制」の都・藤原京と白鳳文化

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パパイヤ投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる

唐から学んだ「条坊制」をもとにして造られた中国風都城の「藤原京」。「条坊制」とは、中国の儒教の経典『周礼』の思想に基づいて造られる都市計画のこと。さらに風水の四神相応の思想も取り入れて、宮から伸びる四つの大通りには玄武、青龍、朱雀、白虎の名前がついています。これは後の平城京などでも見られ、四神の守護を得るための配置です。

藤原京は飛鳥浄御原の北西部、現在の奈良県橿原市のあたりに建設され、その跡が残っています。のちに建設される平城京や平安京より大きく、実は古代最大の都なんですよ。

また、それまでの飛鳥文化から変わって、唐の影響を強く受けたおおらかな白鳳文化が花開いたのも藤原京でした。天皇や貴族を中心とした華やかな文化で、『万葉集』に登場する額田王や柿本人麻呂などの歌人を排出した時代でした。

金属貨幣「富本銭」

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Carpkazu – 投稿者のコレクションを撮影, パブリック・ドメイン, リンクによる

683年ごろに日本で作られたと推定されている「富本銭」。私が子どものころは708年の「和同開珎」が最古だと言われていたんですけど、1998年に大量にこの「富本銭」が出土したことによってその常識が改められました。しかし、「富本銭」が日本最古かと言われればそうではなく、実は、天武天皇時代に「無文銀銭」という銀の貨幣があって、それが日本最古の貨幣になるのです。

ただし、「富本銭」が実際に流通していたのか、あるいはおまじないの道具としてだけ使われていたのかなど、不明な点は多く残っています。

3.「大宝律令」の制定

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