エジソンに憧れて実験の道に進んだ科学者も多い。彼はエジソン・ゼネラル・エレクトリックを設立、事業家として自分のさまざまな発明品を実用化することにも熱中した。
それじゃ、「トーマス・エジソン」がどのような装置を発明をしたのか、彼の生涯を象徴する格言や名言と関連づけながら、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 「トーマス・エジソン」の好奇心旺盛な幼少時代
- 放火をして小学校を強制退学したエジソン
- 夜間電信係の仕事中に電信機を発明
- 「トーマス・エジソン」は次々と発明を実用化
- 蓄音機による音声の録音に成功して有名に
- 電話機は特許をめぐりグラハム・ベルと対立
- 現代の家電の普及を促進させた「トーマス・エジソン」
- 京都の真竹を使って白熱電球の改良をすすめる
- 電気トースターや電気アイロンの製品化に成功
- キネトグラフは発明品のPRのために開発
- 映画製作の目的のひとつは電話機のPR
- 蓄音機とセットで活動写真の事業化に貢献
- 「トーマス・エジソン」の人物像をあらわす言葉
- 自力で己の道を切り開く「努力の人」
- 発明品の権利を異常なまでに主張する「訴訟王」
- 「トーマス・エジソン」は映画産業の独占にも関与
- トラストを形成して多数の特許を死守
- 新興勢力はとことん潰す一面も
- 発明王「トーマス・エジソン」のひらめきは現代にも残る
この記事の目次
ライター/ひこすけ
文化系の授業を担当していた元大学教員。専門はアメリカ史・文化史。世界の発明の歴史をみていくとき「トーマス・エジソン」を避けて通ることはできない。「トーマス・エジソン」の発明品は現代の私たちの生活をとても便利にした。そんな発明王「トーマス・エジソ」の人物像や彼の発明品などをまとめてみた。
「トーマス・エジソン」の好奇心旺盛な幼少時代
トーマス・エジソンは、1847年2月11日にオハイオ州マイランにて生まれました。小さいころからエジソンは好奇心旺盛。自然科学のあらゆることに興味をもち、分からないことがあったら、先生をとことん突き詰める性格でした。そのためプライドが高い教師には疎まれ、教室で孤立しがちでした。
放火をして小学校を強制退学したエジソン
物が燃える理由を知りたいと思ったエジソンは藁を燃やして納屋を全焼させる事件を起こします。放火をきっかけにエジソンは小学校を強制退学。自宅で自力で勉強しなければならなくなります。
自宅学習の日々となったことで、エジソンの自然科学に対する好奇心はさらに広がることに。空を飛べるようになる薬を作るためにガスを発生させる薬を友達に飲ませることも。その友だちは腹痛を起こし、それを知った母親に人体実験を禁止されました。
夜間電信係の仕事中に電信機を発明
人間関係に恵まれていないエジソンですが、彼の人生のプラスにはたらく出会いも。エジソンは、駅長の子どもを助けたお礼に、電信の技術を教えてもらいます。それをきっかけにエジソンは電信の世界に。駅の夜間電信係として働くようになりました。
定期的に信号を送る仕事に飽きたエジソンは、自動で電信を送ることはできないかと思案。その結果、時計を使って自動で電信を送る電信機を発明します。それにより人間がするよりも正確に電信を送ることを可能にしました。
「トーマス・エジソン」は次々と発明を実用化
By Andrew Balet – Own work, CC BY-SA 2.5, Link
エジソンは投票の反対・賛成を瞬時に記録する電気投票記録機を発明、はじめて特許を取得します。それからエジソンの発明熱はさらに加速。ニュージャージー州にメンロパーク研究室をつくり、そこに集まった才能を駆使していろいろなものを実用化します。
蓄音機による音声の録音に成功して有名に
エジソンの発明品のうち有名なもののひとつが蓄音機。もともと音を記録する手段は発明されていましたが、記録するのみで再生は不可。それをエジソンが再生できる製品として実用化するに至ります。
円柱の蝋管に音を深さで刻むエジソンの蓄音機は、とても複雑で精巧な仕組みでした。当時は生で演奏するものを聴くことが一般的だった音楽。それが蓄音機で再生できるようになったことで、音楽の大衆化が一気に進みました。
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