
ペリー来航の真実とは?現役東大生とドラゴン桜桜木がわかりやすく解説!
今回はYouTube「ドラゴン桜チャンネル」から、【ペリー来航の真実】についてお届けします。
なぜ?どうして?を考えると歴史がわかりやすくなる!

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歴史には「なぜ?」が大事だと桜木先生は言っています。○○年に○○が起きたということを、語呂合わせなどで無理やり暗記するのではなく、「なぜ?」と問うことで歴史を深堀りすると、歴史の勉強が面白くなるうえ暗記しやすくなるでしょう。例えばなぜペリーは1853年に日本に来たのか?この年に来た理由があるはずだと考えてみましょう。
ペリー来航はどうして1853年だったのか?

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日本史ではなく世界史の観点から見ていくと実はすごくわかりやすい、と西岡さんは言っています。つまり、日本での1853年ではなく、世界で1853年の前後の年代に何が起こっていたのかということを考えると、非常にわかりやすいそうです。
1853年前後に世界で起こっていたこと その1

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この時期、世界では2つの出来事が起こっていました。1つは1843年(5年前)にアメリカでフロンティア改革が起こっています。これは、ピューリタンがイギリスからアメリカ東海岸に到着し、西部開拓がついに西海岸まで到達したことです。だから1843年より前にアメリカが日本に来るということは絶対にありえなかった、と西岡さんは言っています。フロンティア改革が終わるまでは、国の戦略として日本に来ることは無理だったはずです。そのような背景を考えると、アメリカが日本に開国を迫るのは絶対に1843年以降ということになりますね。
実際このあと5年たってからペリーが日本に来航しています。この5年という数字についてはいろいろ考えるところはあるとは思いますが、西海岸に到達したばかりの時点では造船所もなく船を作れなかったでしょう。大陸横断鉄道が1870年代に開通したことを考えると、当時はまだ鉄道も開通していなかったので、船の部品などを東海岸から西海岸まで運ぶにも時間がかかったと思われます。黒船を準備することにものすごい時間がかかるうえ、日本までの航海自体にも200日くらいはかかったのではないでしょうか。そう考えると西海岸に到達してから5年後というのは、きわめて妥当な感じがしますね。

アメリカフロンティア革命1848年、ペリー来航1853年、日本開国1858年と、5年間隔で3つの出来事を同時に覚えようとすると一気に覚えやすくなるぞ!
なぜアメリカが来たのか?
次に、なぜ開国を迫ってきたのがフランスやイギリスではなくアメリカだったのか?ということについて考えてみましょう。これまでも開国を迫ってきた国はありましたが、ここまで強く迫ってきたのはアメリカが初めてでした。
1853年前後に世界で起こっていたこと その2

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ここで世界史における2つ目の出来事を見てみましょう。ロシアはずっと凍らない港つまり不凍港を求め、南下して国を広げようとするのに対し、イギリスが反対して戦っていましたが、その中で大きな戦争として、1853年にクリミア戦争が起こっています。イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国とロシアが戦ったものです。戦争をしているのでヨーロッパ諸国は日本に興味を持つ余裕などなかったでしょう。そこをアメリカは狙った、と西岡さんは言っています。ヨーロッパが戦争で忙しくしている中で、日本に対して圧倒的な交渉力を持つのは当時はアメリカだけだったということです。
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